「街亭の戦い」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
33行目:
馬謖は街亭に布陣したが、諸葛亮の指示に背き、行動は妥当性を欠いていた。更に馬謖は副将[[王平]]の再三の諌めを聞かず、水路を捨てて山上に陣を構えた。街亭に到着した張郃はまず蜀軍の水を汲む道を断ち、水を断たれた蜀軍の士気が下がると攻撃をしかけ、これを大いに打ち破った。蜀軍の大半は潰走したが、王平指揮下の兵1000人だけは、軍鼓を打ち鳴らし整然と踏みとどまったので、張郃は伏兵を警戒して追撃を断念した。
 
[[高翔]]は列柳に布陣していたが、雍州刺史の[[郭淮]]に敗北した。趙雲と鄧芝も曹真が派遣した大軍強兵を前に敗北し、退却を余儀なくされたが、趙雲が軍兵を能く取り纏め守りを固めた為に、大敗には至らなかった。曹真自身は安定まで進軍し、月支を陥落させた。
 
未だ隴西の游楚を攻略できていなかった諸葛亮は、街亭をはじめ全ての戦場で蜀軍が敗北した事を知ると、全軍を撤退させた。この時西県を制圧し、1000余家を蜀に移住させた。