「津田恒実」の版間の差分
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1990年の津田の故障 4月に右肩、8月にヤったのは右膝でなく左膝 |
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=== 闘病と死去 ===
[[1990年]]、4月に右肩
普通の頭痛だと思って放置したものの、長らく治まらなかったこともあり、この試合の翌日、[[広島大学病院]]に検査入院。精密検査の結果、手術で摘出できない位置に悪性の[[脳腫瘍]]があることが判明。このとき、本人は告知を受けていたが、球団は周囲の動揺を避けるため本当の病名を伏せ「[[水頭症]]のため引退」と発表、5月20日に準[[支配下登録]]選手とした。闘病生活に入り<ref name="nikkan19930721">{{Cite news |title=【復刻】炎のストッパー津田投手が死去 |newspaper=nikkansports.com |date=1993-07-21 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120113-888974.html |accessdate=2017-07-27}}</ref>、自宅や実家での療養を経て[[福岡県済生会福岡総合病院|済生会福岡総合病院]]([[福岡市]][[中央区 (福岡市)|中央区]])へ転院。その後本人の意思により退団届を提出、11月6日付で受理され現役を[[引退]]。一時は奇跡的な回復を見せ、退院後は福岡市内で借家住まいをした。現役復帰に向けたトレーニングも行うようになったが、[[1992年]]6月頃を境に再び病状が悪化、[[八代市|八代]]にあった夫人の実家に身を寄せた後[[8月20日]]に済生会福岡総合病院へ再入院。[[1993年]][[7月20日]]14時45分に同病院において32歳の短い人生を閉じた<ref name="nikkan19930721"/>。
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