「津田恒実」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
1990年の津田の故障 4月に右肩、8月にヤったのは右膝でなく左膝
41行目:
 
=== 闘病と死去 ===
[[1990年]]、4月に右肩や右膝の故障のため、さらに8月わずは左膝靭帯を損傷するなど、僅か4試合の登板に終わると、同年のシーズン終了後から[[頭痛]]をはじめとする身体の変調を訴えるようになる。[[1991年]]、前年から続く体調不良を抱えたまま開幕を迎え、[[4月14日]]に無理を押して[[広島市民球場 (初代)|広島市民球場(当時)]]で行われた[[読売ジャイアンツ]]戦で、1点リードの8回表に先発した[[北別府学]]の後を受けて登板するが、無死二塁・三塁のピンチを招き、[[原辰徳]]に同点適時打を打たれるなど大乱調のためわずか9球で降板となり、敗戦投手となる。これが自身の生涯最後の登板となった<ref name="sponichi20080407">{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_april/KFullNormal20080407143.html |title=【4月14日】1991年(平3) 炎のストッパー・津田、悲しい最後のリリーフ |work=Sponichi Annex |publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080417004925/http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_april/KFullNormal20080407143.html |archivedate=2008-04-17 |accessdate=2017-07-27}}</ref><ref name="nikkan-tatsukawa">{{Cite news |title=必死で練習 “津田魂”は生きている/広島連載5 |newspaper=[[日刊スポーツ|nikkansports.com]]|date=2016-09-03 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1704336.html |accessdate=2016-09-03}}</ref>。
 
普通の頭痛だと思って放置したものの、長らく治まらなかったこともあり、この試合の翌日、[[広島大学病院]]に検査入院。精密検査の結果、手術で摘出できない位置に悪性の[[脳腫瘍]]があることが判明。このとき、本人は告知を受けていたが、球団は周囲の動揺を避けるため本当の病名を伏せ「[[水頭症]]のため引退」と発表、5月20日に準[[支配下登録]]選手とした。闘病生活に入り<ref name="nikkan19930721">{{Cite news |title=【復刻】炎のストッパー津田投手が死去 |newspaper=nikkansports.com |date=1993-07-21 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120113-888974.html |accessdate=2017-07-27}}</ref>、自宅や実家での療養を経て[[福岡県済生会福岡総合病院|済生会福岡総合病院]]([[福岡市]][[中央区 (福岡市)|中央区]])へ転院。その後本人の意思により退団届を提出、11月6日付で受理され現役を[[引退]]。一時は奇跡的な回復を見せ、退院後は福岡市内で借家住まいをした。現役復帰に向けたトレーニングも行うようになったが、[[1992年]]6月頃を境に再び病状が悪化、[[八代市|八代]]にあった夫人の実家に身を寄せた後[[8月20日]]に済生会福岡総合病院へ再入院。[[1993年]][[7月20日]]14時45分に同病院において32歳の短い人生を閉じた<ref name="nikkan19930721"/>。