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{{Commonscat|Asuka-jinja (Shingū, Wakayama)}}
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{{神社
|名称=阿須賀神社
|画像=[[ファイル:171008 Asuka-jinja Shingu Wakayama pref Japan01n.jpg|300px]]|
|所在地=和歌山県新宮市阿須賀1-25-25
|位置={{ウィキ座標2段度分秒|33|43|42.51|N|135|59|50.25|E|region:JP-30_type:landmark|display=inline,title}}
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|例祭=10月15日(神馬巡業の儀)
|神事=
|画像=[[Image:Sacred arch of ASUKA shrine.jpg|250px]]|
}}
 
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熊野の地において[[熊野権現]]はまず[[神倉神社]]に降臨し、それから61年後に阿須賀神社北側にある石淵(いわぶち)谷<ref>今日の[[貴禰谷神社]]([[三重県]][[紀宝町]])と考えられている[平凡社 1997: 221]。</ref>に勧請されて、その時に初めて結早玉家津美御子と称したと伝えられており、熊野権現の具体的な神名がはじめて現れた場所と見なされていたことが分かる(「熊野権現垂迹縁起」)<ref name="Heibon_1997_53">平凡社[1997: 53]</ref>。その他、境内からは[[弥生時代]]の遺跡が発掘されており([[#阿須賀遺跡|後述]])、熊野における歴史と信仰の最も古い層に関わる地として重要である。
 
[[ファイル:171008 Asuka-jinja Shingu Wakayama pref Japan12n.jpg|thumb|阿須賀王寺跡碑]]
社伝によれば[[孝昭天皇]]の代の創建と伝えられる<ref name="Heibon_1997_53"/>。[[平安時代]]に熊野権現の[[本地垂迹|本地]]が確立してからは、[[大威徳明王]]を本地仏として祀った。平安時代後期から12世紀前半までの中世熊野参詣では、阿須賀神社に参詣することが常であったと見られ、『[[中右記]]』の[[天仁]]2年([[1109年]])10月27日条に「参阿須賀王子奉幣」と記され、熊野[[九十九王子]]の王子社('''阿須賀王寺''')としての扱いを受けていたことが分かる。また、『[[平家物語]]』巻十には[[平維盛]]が[[新宮市|新宮]]で「明日社ふし拝み」と記され、阿須賀神社への参拝が一般的なことがらであったことが認められる。
 
『[[紀伊続風土記]]』によれば、近世の阿須賀神社には、並宮・拝殿・御供所・鐘楼堂・四脚門・鳥居・社僧行所などがあったという。[[1907年]]([[明治]]40年)、熊野速玉大社の末社であった八咫烏社(建角美命)・宮戸社(黄泉津道守命)などを合祀した。
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== 境内 ==
=== 社殿 ===
[[ファイル:171008 Asuka-jinja Shingu Wakayama pref Japan06n.jpg|thumb|本殿]]
* 本殿(木造銅板葺流造)16平方メートル
* 拝殿(木造銅板葺入母屋造)56平方メートル
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* 徐福之宮(石造)0.39平方メートル
* 子安之社
<gallery>
ファイル:171008 Asuka-jinja Shingu Wakayama pref Japan10n.jpg|阿須賀稲荷神社
ファイル:171008 Asuka-jinja Shingu Wakayama pref Japan11n.jpg|徐福之宮
ファイル:171008 Asuka-jinja Shingu Wakayama pref Japan09n.jpg|子安之社
</gallery>
 
=== その他 ===
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== 文化財 ==
=== 阿須賀社の手水鉢宝類 ===
[[明徳]]元年([[1390年]])、[[足利義満]]が阿須賀神社の造替に際して奉納した工芸品類。熊野速玉大社の古神宝類と同類のもので、祭神の所用具として奉納された神服、調度品などの一括である。70点余ある全てが[[国宝]]に指定されている。1951年(昭和26年)、文化財保護委員会(文化庁の前身)買い取りとなり、現在は[[京都国立博物館]]に所蔵されている<ref>買い取り年度は、次の文献による。{{Cite book ja-jp|editor=ぎょうせい|year=1998|title=文化財保護行政ハンドブック 美術工芸品編|publisher=ぎょうせい|isbn=4324054274}}, p.149。</ref>。
[[新宮城]]第2代城主の[[水野重良]]により[[寛永]]8年([[1631年]])に寄進されたもので、黒雲母花崗斑岩の巨大な一枚岩を刻んで仕上げられたものである。同様に[[神倉神社]]にも[[手水鉢]]が寄進されている。新宮市指定文化財(有形民俗文化財)として[[1989年]]([[平成]]元年)3月25日に指定された<ref name="Shingu_112">新宮市教育委員会・新宮市文化財審議会[1990: 112]</ref>。
 
=== 蓬莱山経塚 ===
[[ファイル:171008 Asuka-jinja Shingu Wakayama pref Japan02n.jpg|thumb|社殿背後の山が蓬莱山]]
蓬莱山経塚は社殿の裏側から発掘された[[経塚]]で、[[1960年]]([[昭和]]35年)、[[東京国立博物館]]によって発掘された。出土遺物は200点余をかぞえ、陶製経甕破片、経筒残片、銅銭、和鏡、経石、貞治2年(1363年)刻銘のある銅板金具など<ref name="Shingu_66">新宮市教育委員会・新宮市文化財審議会[1990: 66]</ref>のほか、隣接する岩室から400点以上にのぼる御正体(みしょうたい)が出土している<ref>平凡社[1997: 54]</ref>。御正体の製作年代は様式から見て、平安時代から[[室町時代]]にかけてと見られ、平安時代4点、[[鎌倉時代]]119点、室町時代42点、不詳数点と分類されている<ref name="Shingu_66"/>。鏡像・懸仏の両方を含み、描画技法は墨彩、毛彫、線刻、針書、金銅鋳出など様々である。描かれているのは半数以上が阿須賀神社の本地仏である大威明徳王であるが、熊野三山の本地仏である[[阿弥陀如来]]([[熊野本宮大社|熊野本宮]])、[[薬師如来]]([[熊野速玉大社|熊野新宮]])、[[千手観音]]([[熊野那智大社|那智]])や、神倉神社の本地仏である[[愛染明王]]像等も出土している<ref name="Shingu_66"/>。
 
これら出土物はすべて東京国立博物館で整理・調査・研究されたが、[[1976年]](昭和51年)、神社に返還された後、新宮市立歴史民俗資料館に保管されており、一般に公開されている。御正体群「蓬莱山出土御正体」は市指定文化財(考古資料)<ref name="Shingu_66"/>(1989年〈平成元年〉3月25日指定)<ref>新宮市教育委員会・新宮市文化財審議会[1990: 110]</ref>、蓬莱山は和歌山県指定史跡([[1958年]]〈昭和33年〉4月1日指定)である<ref name="shingu_30"/><ref>新宮市教育委員会・新宮市文化財審議会[1990: 108]</ref>。
 
=== 阿須賀宝類社の手水鉢 ===
[[新宮城]]第2代城主の[[水野重良]]により[[寛永]]8年([[1631年]])に寄進されたもので、黒雲母花崗斑岩の巨大な一枚岩を刻んで仕上げられたものである。同様に[[神倉神社]]にも[[手水鉢]]が寄進されている。新宮市指定文化財(有形民俗文化財)として[[1989年]]([[平成]]元年)3月25日に指定された<ref name="Shingu_112">新宮市教育委員会・新宮市文化財審議会[1990: 112]</ref>。
[[明徳]]元年([[1390年]])、[[足利義満]]が阿須賀神社の造替に際して奉納した工芸品類。熊野速玉大社の古神宝類と同類のもので、祭神の所用具として奉納された神服、調度品などの一括である。70点余ある全てが[[国宝]]に指定されている。1951年(昭和26年)、文化財保護委員会(文化庁の前身)買い取りとなり、現在は[[京都国立博物館]]に所蔵されている<ref>買い取り年度は、次の文献による。{{Cite book ja-jp|editor=ぎょうせい|year=1998|title=文化財保護行政ハンドブック 美術工芸品編|publisher=ぎょうせい|isbn=4324054274}}, p.149。</ref>。
 
=== 神像 ===
阿須賀神社には旧国宝(文化財保護法における「重要文化財」に相当)の神像3体(速玉神坐像、夫須美神坐像、奇御食神(くしみけのかみ)坐像があったが、[[1945年]]7月17日に戦災で焼失した。これらの神像は[[1897年]](明治30年)、古社寺保存法による第1回の国宝指定時に指定されたものであった。なお、神像の写真は残っていない<ref>{{Cite book ja-jp|editor=文化庁|year=2003|title=戦災等による焼失文化財 - 20世紀の文化財過去帳|publisher=戒光祥出版|isbn=4900901342}}</ref>。
 
=== 阿須賀遺跡 ===
[[ファイル:171008 Asuka-jinja Shingu Wakayama pref Japan14n.jpg|thumb|阿須賀神社境内弥生式竪穴住居跡]]
熊野川河口付近で発掘された遺跡群で、弥生時代から[[古墳時代]]にかけての集落跡。新宮市の文化財指定名は「阿須賀神社境内弥生式竪穴住居跡」([[1978年]]〈昭和53年〉9月25日指定)<ref name="Shingu_81">新宮市教育委員会・新宮市文化財審議会[1990: 81]</ref>。[[1954年]](昭和29年)2月に地方史研究所が熊野地方で行った総合調査の一環として実施された発掘を第1次とし、1976年末、[[1978年]](昭和53年)2月・10月、[[1981年]](昭和56年)3月と5次にわたる発掘調査が行われている。多くは表土下1-1.5メートルの浅い地中に埋蔵されており、今後も遺物・遺跡が発見される可能性がある<ref name="Shingu_82">新宮市教育委員会・新宮市文化財審議会[1990: 82]</ref>。
 
住居跡が円形3、隅丸方形1、方形6の合計10基、掘立柱建物跡4基が確認されているほか、弥生式土器・土師器が多く、その他に臼玉・管玉などの石製品が見られる。沼沢地化した熊野川河口において、蓬莱山麓一帯のわずかな微高地に成立した農耕漁労集落と見られ<ref name="Shingu_82"/>、神社境内だけでなく周辺一帯の相当に広い範囲から出土品が見られることから、大規模な集落が存在していたことが推定される<ref>平凡社[1983: 739]</ref>。市指定文化財(史跡)<ref name="Shingu_81"/>として、1978年(昭和53年)9月25日指定<ref>新宮市教育委員会・新宮市文化財審議会[1990: 111]</ref>。
 
=== 天然記念物蓬莱山の社叢 ===
: 阿須賀神社の社叢で、境内地後背の蓬莱山にある暖帯[[照葉樹林]]である。高木には[[クス]]・[[ホルトノキ]]・[[シイ]]など、亜高木にはミミズバイ・[[シロダモ]]・タイミンタチバナ、低木には[[イヌツゲ]]・[[アセビ]]・[[カマツカ (植物)|カマツカ]]・[[クチナシ]]、さらに林床には[[センリョウ]]・[[マンリョウ]]・[[ヤブコウジ]]や暖地性の[[シダ]]類が繁茂している。市街地の中にありながら、豊富な植物相を持つ点で貴重な森である。市指定天然記念物(植物群落)として、1989年(平成元年)3月25日指定<ref>新宮市教育委員会・新宮市文化財審議会[1990: 95、112]</ref>。
; 蓬莱山の社叢
 
: 阿須賀神社の社叢で、境内地後背の蓬莱山にある暖帯[[照葉樹林]]である。高木には[[クス]]・[[ホルトノキ]]・[[シイ]]など、亜高木にはミミズバイ・[[シロダモ]]・タイミンタチバナ、低木には[[イヌツゲ]]・[[アセビ]]・[[カマツカ (植物)|カマツカ]]・[[クチナシ]]、さらに林床には[[センリョウ]]・[[マンリョウ]]・[[ヤブコウジ]]や暖地性の[[シダ]]類が繁茂している。市街地の中にありながら、豊富な植物相を持つ点で貴重な森である。市指定天然記念物(植物群落)として、1989年(平成元年)3月25日指定<ref>新宮市教育委員会・新宮市文化財審議会[1990: 95、112]</ref>。
;=== 阿須賀神社のテンダイウヤク ===
: [[テンダイウヤク]](天台烏薬)は[[クスノキ科]][[クロモジ属]]の常緑低木で、中国から薬用として伝来したといわれている。[[静岡県]]・[[三重県]]・和歌山県・[[大阪府]]・[[京都府]]・[[奈良県]]および九州地方の一部に野生化した品種の繁殖が確認されている。新宮市には[[徐福]]渡来伝説が伝えられ、徐福が求めた不老不死の妙薬がテンダイウヤクであるとされることから特に珍重される。特に蓬莱山は徐福がテンダイウヤクを採取した所であるとされ、神社境内にも植栽されている。テンダイウヤクは本来は低木であるが、阿須賀神社のものは樹高3メートルにおよぶ古木の株もあることから貴重なものである。市指定天然記念物(栽培・種分類群)として、1989年(平成元年)3月25日指定<ref>新宮市教育委員会・新宮市文化財審議会[1990: 96-97、112]</ref>。
 
=== 神像 ===
阿須賀神社には旧国宝(文化財保護法における「重要文化財」に相当)の神像3体(速玉神坐像、夫須美神坐像、奇御食神(くしみけのかみ)坐像があったが、[[1945年]]7月17日に戦災で焼失した。これらの神像は[[1897年]](明治30年)、古社寺保存法による第1回の国宝指定時に指定されたものであった。なお、神像の写真は残っていない<ref>{{Cite book ja-jp|editor=文化庁|year=2003|title=戦災等による焼失文化財 - 20世紀の文化財過去帳|publisher=戒光祥出版|isbn=4900901342}}</ref>。
 
== 新宮市立歴史民俗資料館 ==
{{博物館
|名称=新宮市立歴史民俗資料館
|画像=[[ファイル:171008 Asuka-jinja Shingu Wakayama pref Japan13n.jpg|290px]]
|正式名称=
|愛称=
|前身=
|専門分野=新宮市の歴史民俗
|事業主体=[[新宮市]]
|管理運営=
|開館=1979年
|所在地郵便番号=
|所在地=和歌山県新宮市阿須賀1-25-25
}}
境内に建設された新宮市立の博物館<ref>[http://www.city.shingu.lg.jp/div/soumu-1/htm/d1w_reiki/417901010169000000MH/417901010169000000MH/417901010169000000MH.html 新宮市立歴史民俗資料館条例] </ref>。[[#蓬莱山経塚|蓬莱山経塚]]や[[#阿須賀遺跡|阿須賀遺跡]]の出土品のほか、新宮城や熊野信仰などに関する展示品、竪穴住居(1976年〈昭和51年〉4月復元)などがある。
 
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== 関連項目 ==
{{Commonscat|Asuka-jinja (Shingū, Wakayama)}}
* [[熊野信仰]]
* [[熊野速玉大社]]