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江戸時代から大洗は漁港として栄え、[[涸沼川]]河口が海上運搬の拠点として用いられていたが河口部の水深確保が困難となり外海部に新港建設が計画された。[[1909年]](明治42年)から大正初期にかけて事業費30万円余をかけ「磯浜港」として港湾建設を図ったが、完成間近の[[1917年]](大正6年)に漂砂が堆積し漁船の係留地を失い、応急策として涸沼川の一角に漁港「第二種磯浜港」が建設された<ref name="oaraisuisan">[http://www.town.oarai.lg.jp/~nousui/business/info-1443-212_3.html 大洗港のあゆみ] - 大洗町</ref>。
 
磯浜築港建設が漂砂の影響を受けて中断されてから50年余りが経過し、同じ場所に新たな築港計画により産業港が計画された<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=h3XnDUtZZzY 茨城県映画『海岸線を行く』(1965年(昭和40年度)制作)▼] - Youtube「なつかし・いばらき」(茨城県庁映像アーカイブス)</ref>。昭和30年代より漁船の大型化もあり港湾を建設しようとする機運が高まり、1958年(昭和33年)12月の地方港湾指定を機に港名を「磯浜港」から「大洗港」に改められると、1961年(昭和36年)から港湾建設が着手され、1979年(昭和54年)までには約80億円の建設費を投じ漁港区が成された<ref name="大洗港区20151202">{{Cite web|url=http://www.pref.ibaraki.jp/doboku/ibako/okoku/index.html|title=茨城港湾事務所大洗港区事業所|date=2015-12-02|work=茨城県ホームページ|publisher=[[茨城県]]|author=|accessdate=2016-01-10}}</ref><ref name="oaraisuisan"/>。
 
1979年(昭和54年)5月に[[重要港湾]]の指定を受けると、長距離フェリー寄港を前提とする港湾計画が策定されて第3埠頭岸壁(-8m)の整備に着手<ref name="大洗港区20151202"/>。[[1985年]](昭和60年)3月に大洗 - 苫小牧・室蘭を結ぶカーフェリーが就航し、首都圏と北海道を結ぶカーフェリー基地として発展した<ref name="大洗港区20151202"/>。[[1992年]](平成4年)7月には、大型クルーザーなど約160隻が保管できる県内初の公共マリーナが供用を開始する。[[1994年]](平成6年)10月には、新旅客ターミナルビルや人道橋が完成し、機能性、快適性、利便性に優れた港となって賑わいをみせている。また、[[1995年]](平成7年)10月には、大型客船も接岸できる第4埠頭が完成し、新たに海洋レクリエーション基地としての機能も高めており2008年には首都圏初の[[みなとオアシス]]に認定された<ref>[http://www.pref.ibaraki.jp/bukyoku/doboku/kowan/sitetop1/port-oa.htm 茨城港大洗港区|いばらきのみなと 茨城県港湾振興協会連合会ホームページ]より。</ref><ref>[http://www.town.oarai.lg.jp/~machidukuri/machizukuri/info-811-94_3.html みなとオアシス大洗] - 大洗町</ref>。