「浜田幸一」の版間の差分

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*[[三木武夫]]に向かって「話し方やら性格やら、私は三木さん、あなたが大嫌いだ」と、言ったという話も残っている。[[三木おろし]]の最中の自民党両院議員総会では、「誰が辞めさせるといったって、本人が辞める気にならなけりゃ辞め(させ)られない。だから[[中曽根康弘|中曽根(康弘)]][[自由民主党幹事長|幹事長]]は偉いと言ってるんだ。嫌がる人をようやく辞めさせる気になったんだから!」と演説、壇上の三木は腕を組んで険しい表情のままであった。
*[[森喜朗]]の政治姿勢を厳しく批判することが多く、テレビタックルでは、[[内閣総理大臣]]だった森のことを「あんなの」と呼び、共演者の笑いを誘った。また、自民党の幹事長会に出た現職首相の森に「森、てめぇこのやろうぶっ飛ばすぞ」と言い、それを止めに入った[[古賀誠]][[自由民主党幹事長|幹事長]]に「調子にのってんじゃねえぞ」と言った。森は苦笑いをしていた。
*[[東京湾アクアライン]]建設の立役者。[[神奈川県]][[川崎市]]と[[千葉県]][[木更津市]]をつなぐ高速[[自動車専用道路]][[日本の一般有料道路一覧|有料道路]]建設を推進した。建設費は1kmあたり1,000億円で、僅か15km程の道路で建設費用が約1兆5,000億円も掛かったという。川崎市から[[海ほたるパーキングエリア]]までは[[海中道路]]で、海ほたるPAから木更津市は海上道路となる。アクアラインの通行料4,000円が高いことや、通行する自動車数が予測よりも少なく、[[赤字]]となっており、国会などでも問題となった。この点を指摘されると「私の責任です」と言い、続けて「あと100年後したら、必ずこの[[費用対効果|事業の意義]]が分かる時がくる」と述べた。
*自らの過去の行動を顧みて、息子だけは立派に育てて社会に恩返しをするとの信念から、息子・[[浜田靖一]]を幼少の頃から[[渡辺美智雄]]の家に預ける。1993年7月、靖一に地盤を譲り政界引退。[[羽田孜]]から新党への誘いを受けていたが、これを固辞。本人は後年インタビューで「二世議員なんてもってのほかだと思っていたから、息子が政治家を目指すにしても地盤を継がせる気はなかった。でも自分の意に沿わない後継者が選ばれるのは嫌でしょうと説得された」と語っている。靖一の選挙に応援することはほとんどなかったが、[[第45回衆議院議員総選挙|平成21年の衆議院総選挙]]で自民党候補が軒並み苦戦し、[[防衛大臣]]の職にあった靖一は地元で十分な運動が出来なく、[[落選]]のピンチに陥った際には、息子の応援演説に立ち、[[木更津駅]]前で[[涙]]ながらに[[土下座]]し「どうか、どうか、靖一を勝たせてやって下さい」 と叫んだ<ref>読売新聞2009年8月25日</ref>。
*[[予算委員会#衆議院予算委員会|衆議院予算委員会]]において、日本社会党の[[安宅常彦]]に対し「黙れ!強姦野郎!」「[[強姦]]をやるのとはわけが違うんだぞ!」と、[[野次]]を飛ばし問題となった。しかし結果的に浜田自身は何の処分も受けず、逆に安宅の方が、次期総選挙で党公認を貰えず引退に追い込まれている。