「尾花高夫」の版間の差分

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{{by|2006年}}〜{{by|2009年}}まで巨人の投手チーフコーチを務めた。継投や投手運営など、投手部門の責任者であった。就任前年のチーム[[防御率]]4.80(リーグ最下位)を、就任1年目の2006年には3.65と改善することに成功。2009年は球団として19年ぶりとなるチーム防御率2点台(2.94)とし、{{by|2007年}}~2009年のリーグ3連覇に貢献した。
 
投手コーチとしてヤクルト、ダイエー、巨人でリーグ優勝7回、日本一に4回導いた手腕が評価され、[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]に監督就任を要請された。次のシーズンまで巨人とのコーチ契約が残っていたが、横浜と巨人の球団間の交渉を経て、2009年[[11月11日]]にベイスターズ監督の就任が発表された<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2009111100673 横浜新監督に尾花氏] 時事通信{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。3年契約。PL学園高校の出身者としては初のNPB球団監督就任となる。しかし、監督1年目は{{by|1955年}}以来球団55年ぶりの95敗を喫するなど、最下位に終わった。更にチーム防御率は12球団最下位、チーム[[打率]]は2年連続12球団最下位と低迷した。
 
{{by|2011年}}シーズンは[[内藤雄太]]のサヨナラ安打によって、チーム8年ぶりとなる開幕戦白星を飾るも、またも最下位に沈んだ。4年連続90敗だけは免れたものの、チーム防御率は2年連続12球団最下位、チーム打率・[[得点]]は11位と投打ともに奮起することが出来なかった。シーズン終了後、他の一軍コーチ陣とともに休養、事実上の解任が発表された<ref>{{Cite web|date=2011-10-22|url=http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011102201000860.html|title=横浜、尾花監督が休養 球団売却で人事不透明に|publisher=共同通信|accessdate=2011-10-24}}</ref>。[[11月22日]]、正式に解任を通告された。