「百年戦争の背景」の版間の差分

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[[Image:Conquetes_Philippe_Auguste.png|thumb||250px|1180年と1223年のフランスにおけるプランタジネット朝の版図(赤)とフランス王領(青)、諸侯領(緑)、教会領(黄)]]
1203年にフランス王[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]は、プランタジネット家の内部対立を利用して[[ジョン (イングランド王)|ジョン王]]から[[アキテーヌ]]を除くフランス領土を接収することに成功した。さらに[[ブービーヌの戦い]]の勝利により、これらの領土を確定した後、1215年に王太子ルイ([[ルイ8世 (フランス王)|ルイ8世]])は、イングランド諸侯の支持を受けて一時[[ロンドン]]を占領し戴冠を目前とした([[第一次バロン戦争]])。しかし、1216年にジョン王が急死し幼い[[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]が即位すると、イングランド諸侯はヘンリー3世を支持したため失敗に終わった。ルイ8世はその後もイングランド征服を狙っていたが1226年に死去し、幼い[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]が即位した。これを好機として、既に成人していたヘンリー3世が二度にわたって、フランス領土奪回のための侵攻を行ったが共に失敗し、却って残っていたアキテーヌも占領された。しかし、ヨーロッパの平和を望むルイ9世は、イングランドとの抗争の終結を望み、1243年に平和条約を結び、ヘンリー3世が臣従の礼をとることでボルドーを中心としたアキテーヌの一部である[[ュイエンヌ]][[ガスコーニュ]]を返却した。
 
== 国家統一への動き ==