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差分

=== 当時の海賊 ===
{{main|水軍}}
日本史(特に[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]以降)における海賊は、沿海における豪族という面を持っていた。[[大名]]が領地を持つように海上に縄張り(海上権、海上支配権)を持ち、さっっっっkらに相互の連合組織を持つなど、一定規模の組織で活動していた。そのため[[国人]]衆や一向衆([[一向宗|一向'''宗''']]ではない)がそう呼ばれるように、単なる海賊と分けて「海賊衆」と呼ばれる。一般的な意味での海賊のように、沿岸地や商船を襲うこともあったが、大名や商家の依頼を受けて船舶の警護(警固)を行うことも主要な活動の1つであった。特に[[室町幕府]]は[[日明貿易|勘合貿易]]に際して、彼らを承認する代わりに警固の役を課した。そのため海賊衆は「警固衆」とも呼ばれた。関連して、彼らが護衛名目で取る金銭を「警固料」、警固の依頼や料金徴収するために揚陸港などに設置した施設を「警固関」と言う。
 
室町時代後期に幕府の権威が衰えて権力が分散すると、各地の海賊衆も政治的な自立を行い、その地位を確立する。ある大名に服するのではなく、あくまで対等な関係、もしくは傭兵として振る舞い、大名などとは独立した組織として活動した。そのため、時勢に応じて臨機応変に支持大名を変えるということもよくあった。それを可能にした1つの要因として、貨幣経済・物流の発展などによって警固料収入が増加したことが挙げられる。
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