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1980<!---当初は[[月刊OUT]]誌でもいわゆる[[ハガキ職人]]として活躍していたらしく、いわゆる「アウシタン」であったとその旨[[ファンロード]]誌上の座談会記事中にあります。年代確認中。なお、[[ガンプラ]]は[[1980年]]から始まっており、その頃既にファンロード誌上に作例(同人セル画等)を投稿していた。--->年頃より、アニメファンとしてアニメ誌の投稿欄で活躍。主に[[ファンロード]]において[[フィギュア]]を中心とした立体作品を発表し、その後、[[秋山徹郎]]が結成したフィギュア造型集団「O.F.F.」(オリジナル・フィギュア・ファクトリー、略称オフ)に参加。また、O.F.F.のメンバーが作ったフィギュアの作例と製作方法の解説、素材の紹介をメインとした同人誌『O.F.F.ワークブック』を発行する。[[バンダイ]]から[[ラム (うる星やつら)|ラムちゃん]]のインジェクションキット、[[ツクダホビー]]から[[ジャンボウフィギュア]]が発売されフィギュアモデルが模型誌に登場し始めると、O.F.F.のメンバーがライターとして『[[モデルグラフィックス]]』等、模型誌に登場することになる。
 
1987年に[[モデルグラフィックス]]編集部に就職。翌年退職してフリーランスのライター・編集者となる。ただし、実際に、「自分」でキットを製作ることもなく、キットのインプレッションを書くだけ、という行為を繰り返すというスタンスに、反感をいだく読者、そして、モデルジャーナリストも数多く存在している(実際、大手フィギュアメーカーである「海洋堂」が、「モデルグラフィックス」誌に、あさのまさひこ氏を軽蔑するようなスタンスをとった広告を掲載したこともある。その広告には、はっきりと「あさのまさひこ死ね」というフレーズが記述されていた)また、「モーターレーシング」にも造詣が深いとわれているが、実際は、2輪、4輪ともに、うわべだけを論じることに終始しているだけあり「モデルグラィックス」誌読者のはもとより、モータージャーナリストの反感をかっているいるのも事実である。動戦士士ガンダム』を模型・考察面から再構築する連載企画『[[ガンダム・センチネル]]』を主導した。更に1991年~1993年には契約社員の立場で同誌2代目編集長を務めた。[[ゼネラルプロダクツ]](現[[ガイナックス]])主催の頃から[[ワンダーフェスティバル]]に参加しており、現在はそのオフィシャルブランドである「ワンダーショーケース」のプロデュースを務め読者もなかあきらめているようです。
 
自画像はその自称である「まにあ」の由来となった、「あの字のビスケット」の頭部で描かれている。
なお、『[[あにゃまる探偵 キルミンずぅ]]』のEDとして採用された[[Neko Jump|eko Jump]]の『[[Chuai mad noi]]』日本語版『朝イチ大パニック!』の日本語版作詞者として同作深夜再放送版『 ~+(プラス)』第14話のEDよりクレジットされてる。
 
である。