「テクノ歌謡」の版間の差分

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[[テクノ・ポップ]]隆盛後、[[細野晴臣]]、[[坂本龍一]]、[[大村憲司]]、[[白井良明]]といったいわゆるテクノ・ポップ系のミュージシャンが、[[アイドル歌謡]]に楽曲提供をした曲を後年「テクノ歌謡」と呼ぶようになった。
 
[[コルグ]]や[[ヤマハ]]の[[シンセサイザー]]や[[シモンズ]]の[[シンセドラム]]が、日本の音楽界に実験的に導入され、1977年には[[サウスポー (ピンク・レディーの曲)|ピンク・レディー]]の『[[サウスポー (ピンク・レディーの曲)|サウスポー]]』のイントロに挿入されたアメリカのポラード社製のシン・ドラム(SYN-DRUMS)の音響が、「歌謡界のテクノ化」の嚆矢とされる。
 
1980年、筒美京平が[[榊原郁恵]]に『[[ROBOT (榊原郁恵の曲)|ROBOT]]』を提供、[[船山基紀]]による「バブルガムテクノ」([[高橋幸宏]])的アレンジにより、一般に「テクノ歌謡」を認知させた。