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[[正教会]]においては、西方教会における原罪の概念を否定的に捉えることから原罪という術語を用いる事にさえ慎重な見解をもつ者もいれば<ref name="ocj" /><ref name="nagoya" />、他方、原罪という術語を用いる事自体は忌避していない者もいる<ref name="IA56">アルフェエフ、高松 p56 - p58, 2004</ref><ref name="nagaya">[http://www.eastern-orthodox.net/catholic.pdf 「正教会とローマ・カトリック教会の相異」] - [http://www.eastern-orthodox.net/ 東方正教会]内ページ、[[長司祭]] [[長屋房夫|イオアン長屋房夫]]による翻訳</ref>。いずれにしても、西方教会における原罪についての理解・論争からは距離をとっている事は共通している。
 
西方教会では人間全てが完全に堕落し、十字架にかけられ罰を受けるべきだったがキリストが代わりに十字架にかかった、と強調し、東方教会では人間は完全に堕落したわけではないので罰を受ける必要はなかったが、完全な神の似姿のときアダムが罪を犯したため、完全な神の似姿であるハリストス(キリスト)が十字架にかかり罪を贖った、と強調する<ref name="ocj" />。
 
正教会は、カトリック教会における教義(1854年決定)である、[[無原罪の御宿り|聖母マリアの無原罪の御宿り]]を認めない<ref name="nagaya" />。原罪の結果に対する[[アウグスティヌス]]の考え方に同意しない正教会において、無原罪懐胎の教理は、「誤り」であるというよりも、むしろ「不要」なものであると評される<ref name="KW">[[府主教]][[カリストス・ウェア]]著、[[司祭]]ダヴィド水口優明・司祭ゲオルギイ松島雄一訳『カリストス・ウェア主教論集1 私たちはどのように救われるのか』17頁 - 18頁、[[日本ハリストス正教会]] 西日本主教区</ref>。