「指宿枕崎線」の版間の差分

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** このうちキハ47 1078は、2009年3月22日より「カツオ号」として[[ラッピング車両|ラッピング]]されていた<ref>[http://railf.jp/news/2009/03/23/171100.html 指宿枕崎線にラッピング列車「カツオ号」登場] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2009年3月23日</ref>。デザインは[[鹿児島水産高校]]の生徒が発案したもので、1年間運行された。なお同車(キハ47 9078に改番)は2017年現在、沿線自治体である鹿児島・指宿・南九州・枕崎の各市の大判PR広告を車内に掲出している。
** 2011年3月12日に運行を開始した当線初の特急列車「[[指宿のたまて箱]]」も、キハ47・キハ140<ref>[http://railf.jp/news/2012/03/20/100000.html キハ140 2066が「指宿のたまて箱」仕様になって出場] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2012年3月20日</ref>の改造車を使用している。
** 20102007年頃、鹿児島中央発山川行きの定期普通列車を土休日に限り延長運転する形で、キハ40系列2両編成で鹿児島中央駅 - 西頴娃駅間に下り片道のみながらキハ40系列2両編成で愛称付き列車「いせえび号」が運転されていた<ref>『JTB時刻表』2007年4月号、JTBパブリッシング、p.472</ref><!-- 延長運転区間の日本最南端区間は定期列車ではなく臨時列車(列車番号が9000番台)。-->(「[[西頴娃駅]]」の項目で詳説あり)。これは愛称付き列車としては日本最南端を走っていた列車である<ref {{Refnest|group="注釈">|他に臨時列車では指宿駅 - 西頴娃駅間で運転されていたトロッコ列車「アドベンチャー号」がある<ref>池田光雅『鉄道総合年表1972-93』中央書院、1993年、p.119</ref><br>1970年代に急行「錦江」の一部が枕崎発で運転されていたことがあるが、日本最南端区間は普通列車として運転<ref>今尾恵介監修『日本鉄道旅行歴史地図帳』12号 九州沖縄、新潮社、2011年、p.54</ref>。<!-- http://betsunoka.ec-net.jp/67/iseebi67.html を見br>ま限り、1985年3月14日改正時点では、定期列車を土休日快速「どにのはな」の前身である快速「いせえび号ぶすきとして西頴娃ま2往復中上り1本が枕崎発臨時に延長運転されていたようで山川指宿まで各駅に停車するが、枕崎から快速「いせえび号ぶすきを併結として運転<ref>国鉄監修『時刻表』1985年3月号すなわち延長運転区間の日本最南端区間では臨時列車(列車番号が9000番台)交通公社、p.270</ref>。}}-->
* [[JR九州キハ200系気動車|キハ200系]]
** 1992年に筑豊地区に続き0・1000番台(クロスシート車)4編成が新製投入され、1997年に香椎線系統から500・1500番台(ロングシート車)3編成が移籍した。いずれも当初は「赤い快速」塗装であったが、順次黄色の「なのはな」塗装に変更された。その過程ではユニット(2両)単位での混色編成も見られた。