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[[1999年]]に[[スティーブ・ペリマン]]監督の下、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]2ndステージ優勝を果たし、この年の[[Jリーグベストイレブン]]に選出されるが、アタッキングゾーンでのプレーを求められなかったため、この頃から攻撃的なプレーが少なくなる。
 
[[フィリップ・トルシエ]]監督の下では運動量と守備的意識を買われ、ついにレギュラーの座を獲得。トルシエ時代にはボランチ以外ではなく主に右ングバックドの要員として起用されることも事がかった。しかし常に望月や明神や波戸らと併用され、レギュラーとして定着した時期はなかった。[[2000年]]の[[ルナー・ニューイヤー・カップ|カールスバーグカップ]]・[[サッカーメキシコ代表|メキシコ]]戦では初のゲームキャプテンを任せられるなど、トルシエ監督から絶大な信頼を得る(合宿終了後にゲームキャプテンから一言と言われた際、寡黙な性格のためか「お疲れ様でした」の一言しか言わなかった)。しかし、[[2002 FIFAワールドカップ日本代表]]には、負傷から復帰した直後のタイミングとなってしまい選出されなかった。
 
[[2007年]][[11月11日]]の[[サンフレッチェ広島]]戦(日本平)にて、[[藤田俊哉]]に続いて史上2人目のJ1通算400試合出場を達成した(同一クラブ所属では史上初)。[[2008年]][[5月11日]]の鹿島戦(日本平)ではJリーグ通算最多出場となる415試合出場を達成、[[2009年]][[6月27日]]の[[FC東京]]戦([[国立霞ヶ丘陸上競技場|国立]])にて、J1史上初となる450試合出場を達成した。