「水ヶ江」の版間の差分

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国道と県道沿いに企業や商店が並び、ほかは住宅地となっている。1丁目に在った[[佐賀市民会館]]は老朽化により[[2016年]]に休館(事実上の閉鎖)<ref>[http://www.saga-s.co.jp/articles/-/6219 市民会館跡、当面は駐車場 7月に解体着手]佐賀新聞 - 2016年9月24日</ref>、[[佐賀県立病院好生館]]は敷地が狭小のため[[2013年]]に嘉瀬地区に移転した。跡地には佐賀市医師会立看護専門学校(佐賀市新中町)、休日夜間こども診療所・休日歯科診療所(佐賀市兵庫北)などが移転進出する<ref>[http://www.saga-s.co.jp/articles/-/8485 診療所、看護学校合築へ 好生館跡地]佐賀新聞 - 2016年8月18日</ref>。
 
1丁目には歴代藩主が「国家安泰・万民安楽」を祈願した石塔や[[佐賀の乱]]記念碑がある万部島があり[[佐賀城公園]]の一部となっている。2丁目に[[大隈重信]]の生誕地があり国指定史跡の生家を中心に大隈重信記念館として整備されている。3丁目の大木公園は[[大木喬任]]の生誕地と伝えられ記念碑が立つ。また2丁目には[[後多久氏]](水ヶ江龍造寺氏)の屋敷門や、鍋島家の家老・水町氏の屋敷門として建設された3間1尺の薬医門が残っており、水町氏の門は佐賀市の重要文化財に指定されている。なお、この屋敷は[[第一次上海事変|上海事件]]で著名な[[空閑昇]]少佐の生家でかつては「空閑昇少佐生家」と記された石碑もあったが戦後に撤去されている。
 
かつての片田江縦小路・水ヶ江(虎次)縦小路である県道30号線を始め、佐賀城下の諸小路が広く残っており、前述の記念館、屋敷門などとと合わせ城下町の面影を広く感じることができる。また、幕末に活躍した[[佐賀の七賢人]]の内、大隈重信と大木喬任は水ヶ江の出身であり、[[佐野常民]]は水ヶ江の佐野家に養子となるなど明治維新ともかかわりの深い地となっている。