「エレオノーラ・ゴンザーガ」の版間の差分

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エレオノーラは[[グラーツ]]と[[ウィーン]]に[[カルメル会]]の施設を建てた。
 
1637年に夫フェルディナント1世と死別した。フェルディナント1世と最初の妃[[マリア・アンナ・フォン・バイエルン (1574-1616)|マリア・アンナ・フォン・バイエルン]]の子の[[フェルディナント3世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント3世]]が1651年に3度目の皇后とした[[エレオノーラ・マグダレナ・ゴンザーガ]]は、エレオノーラの兄マントヴァ公[[フランチェスコ4世・ゴンザーガ|フランチェスコ4世]]の孫にあたる。この姪孫との区別のため、エレオノーラはÄltere(ドイツ語で「年長の」)と呼ばれた。
1637年に夫フェルディナントと死別し、1655年に[[インスブルック]]で死去した。
 
1637年に夫フェルディナントと死別し、1655年に[[インスブルック]]で死去した。
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[[Category:神聖ローマ皇后]]