「ニザーミーヤ学院」の版間の差分

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==概要==
[[11世紀]]後半、セルジューク朝の[[スルタン]]である[[マリク・シャー]]に仕えた[[ニザームルムルク]]によって各地に設けられた。「ニザーミーヤ」の名称は、彼の名にちなんだものである。従来のマドラサは地域社会の有力者が創設するものであった。これに対して、ニザームルムルクは、自らの名を持つマドラサを[[ニーシャープール]]に始まり、[[バグダード]]、[[イスファハーン]]、[[ライイ|レイ]]などのセルジューク朝の支配する各主要都市にこのマドラサを創設させた。とりわけバグダードでは神学教授の[[ガザーリー]]などが活躍した。(ただし、のちにガザーリーは教職から離れ[[スーフィー]]となる。)その目的としては、有能な官吏養成が挙げられるほか、当時有力であった[[イスマーイール派]]([[シーア派]]の一派)の布教活動への対抗も指摘されている。
 
ニザーミーヤ学院で教育された内容は[[シャーフィイー学派]]の[[イスラーム法学|法学]]と[[アシュアリー学派]]の[[イスラーム神学|神学]]が強調されていたようである。これは[[中央アジア]]などで隆盛していた[[ハナフィー学派]]との均衡政策などが影響していたという説もある。ガザーリー自身もシャーフィイー学派とアシュアリー学派、両方の学統に連なる人物である。その後セルジューク朝末期から[[ホラズム・シャー朝]]時代に掛けて[[ホラーサーン]]方面では王朝内外の政治的対立に加え、住民間で法学派同士による権力闘争が展開したようだが、ニーシャープールなどのニザーミーヤ学院ではその闘争の舞台のひとつとなった。
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