「于山国」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
TODI2001 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
TODI2001 (会話 | 投稿記録)
36行目:
== 日本と韓国の間で領土問題となっている竹島との関係 ==
[[三国史記]]の記述に于山国が新羅に服属したとあるため、[[大韓民国|韓国]]では、于山国の領土を朝鮮の古地図に見られる[[鬱陵島]]と[[于山島]]であるとしている。また古地図に描かれている于山島は全て現在の[[竹島 (島根県)|竹島]](韓国名・独島)であるとし、「独島は512年から朝鮮領になっている」と主張している。しかし、三国史記の記述には鬱陵島以外の島のことは全く記されていない。ただし、『世宗実録地理志』には「于山と武陵、二つの島は県の真東の海の中にある。二つの島は互いに距離が遠くないので天気が晴れれば充分に眺めることができる。新羅の時は于山国または鬱陵島とも言ったが、地方は一〇〇里である。(原文:于山武陵二島 在県正東海中 二島相去不遠 風日清明則可望見 新羅時称于山国 一云鬱陵島 地方百里)『世宗実録』巻一五三、地理志、江原道、三陟都護<1454>」という記録があり、ここでは于山島と武陵島(=現在の鬱陵島)が干山国であって、またその別名が鬱陵島であるとされ、鬱陵島とは当時、于山島と武陵島(=現在の鬱陵島)を合わせた概念であり干山島が現在の竹島(=独島)であるとされる。鬱陵島から晴れた日に見えるのは竹島(=独島)だけだというのが韓国側の主張である。
 
 
== 関連項目 ==