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Leonidjp (会話 | 投稿記録)
読み仮名は太字にしなくてもよいかなと思う。導入部に出典追加し、細かいですが要出典範囲を指摘。概要の説の中身はほとんど図像のことばかりなので別の節へ移した。
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'''来迎'''(らいごう、[[浄土教]]諸宗では、らいこう{{efn|正式な読み方は「らいこう」だが、遅くとも[[室町時代]]末からは、[[民衆]]の間では「らいごう」と発音されていたという<ref name="kb1707" />。}})とは、[[仏教]]の{{要出典範囲|[[浄土教]]において|date=2017年10月22日 (日) 07:02 (UTC)|title=}}[[念仏]]行者の[[臨終]]の際に、[[阿弥陀如来|阿弥陀]]三尊{{要出典範囲|(脇侍は観音菩薩・勢至菩薩)|date=2017年10月22日 (日) 07:02 (UTC)|title=}}が25人の[[菩薩]]{{要出典範囲|や天人|date=2017年10月22日 (日) 07:02 (UTC)|title=}}と共に白雲{{要出典範囲|または[[彩雲|紫雲]]|date=2017年10月22日 (日) 07:02 (UTC)|title=}}に乗って、その死者を迎えに来て[[極楽]]に引き取ること<ref name="kb1707">{{Cite book |和書 |author=中村元 |date=2001-06 |title=広説佛教語大辞典 |publisher=東京書籍 |volume= |page=1707 |isbn=}}</ref>。その様子を描いた図様は'''来迎図'''(らいごうず/らいこうず)という。
'''来迎'''('''らいごう'''、浄土宗では'''らいこう''')とは、仏教中の[[浄土教]]において、[[彩雲|紫雲]]に乗った[[阿弥陀如来]]が、[[臨終]]に際した[[往生]]者を[[極楽]][[浄土]]に迎える為に、[[観音菩薩]]・[[勢至菩薩]]を脇侍に従え、諸菩薩や天人を引き連れてやってくること。
 
== 概説 ==
また、その様子を描いた図様を'''来迎図'''(らいごうず/らいこうず)という。
{{節stub}}
 
== 概要来迎図・彫像 ==
{{出典の明記|date=2017年10月22日 (日) 07:02 (UTC)|section=1}}
[[平安時代]]中期に「阿弥陀如来を信じていれば、臨終に際して阿弥陀如来が極楽に導いてくれる」という「'''阿弥陀信仰'''」が盛んになり、多くの来迎図が描かれた。阿弥陀如来の左脇侍として蓮台(蓮の形の台座)を持っているのが観音菩薩、右脇侍として合掌しているのが、勢至菩薩である。阿弥陀三尊は、雲に乗る坐像、あるいは立像として描かれる。本来、浄土信仰であるので、浄土系の宗派の図様であるが、全宗派的な広がりを持つ
 
=== 作例 ===
『[[観無量寿経]]』に基づいた来迎図では、[[当麻曼荼羅]]に見られるように、上品上生から下品下生までの九品往生に分かれるため、来迎の様も、それぞれ異なって描き分けられている。
 
[[知恩院]]に所蔵される[[国宝]]の通称「'''早来迎'''(はやらいこう)<ref>{{efn|浄土宗の宗宝の為に「はやらいこう」と記す。</ref>}}」と呼ばれる来迎図は、正式には「阿弥陀二十五菩薩来迎図」であり、『[[観経]]』に説かれる上品上生の来迎を表した図様である。
 
[[禅林寺 (京都市)|永観堂]]蔵本(国宝)などで知られる「'''山越阿弥陀図'''」も、来迎図の一種であり、阿弥陀如来のみを巨大に描き、それが山を越えて来迎に現われた様を強調した図像である。
 
[[三千院|往生極楽院]]の本尊である阿弥陀三尊像(国宝)は、来迎図のような図像ではなく彫像であるが、三尊が来迎する様を表現した像であり、脇侍の二菩薩像が、胡坐ではなく日本式の[[正座]]をしている点でも知られている。
 
本来、浄土信仰であるので、浄土系の宗派の図様であるが、全宗派的な広がりを持つ。
 
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 外部リンク ==