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{{Wikisourcelang|zh|晉書/卷097#馬韓 辰韓 弁韓}}
 
これらの中国資料によると、新羅は古くは辰韓=秦韓と呼ばれ、[[秦の始皇帝]]の労役から逃亡してきた人の国という。
 
また、『[[北史]]』巻94新羅伝では、以下のように記載される。
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{{Wikisourcelang|zh|北史/卷094#新羅}}
 
[[水谷千秋]]は、辰韓の民の話す言語は秦の人に似ており、辰韓は秦韓とも呼ばれていたため、実際に[[中国]]からの[[移民]]と考えて間違いない、であると述べている<ref>水谷千秋『謎の渡来人秦氏』2009年、文春新書、p36、ISBN 978-4166607341</ref>。
 
[[3世紀]]以降に作成された『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』魏書巻30辰韓伝に「名國為邦(訳:国を邦と言う)」とある<ref>{{Wikisourcelang|zh|三國志/卷30}}</ref>。[[森博達]]や[[伊藤英人]]によると、辰韓(秦韓)の民は[[秦]]から[[亡命]]してきたと言うが、[[前漢]]の初代皇帝[[劉邦]]が[[諱]]を憚って「邦」を「国」と言い換え、漢代以後の漢語では「邦」のことを「国」と言うが、辰韓人(秦韓人)は「国」のことを「邦」と言っており、辰韓人(秦韓人)は秦語を使用していることが決定的だという<ref>{{Cite book|和書|author=[[森博達]]|date=2011年|title=日本書紀成立の真実 書き換えの主導者は誰か|publisher=[[中央公論社]]|ISBN=978-4120042829|ref={{Harvid|森博達|2011}}}}</ref><ref>[[伊藤英人]]「朝鮮半島における言語接触」[[東京外国語大学]]語学研究所論集、第18号、p58</ref>。
 
{{quotation|辰韓在馬韓之東、其耆老傳世、自言古之亡人避秦役來適韓國、馬韓割其東界地與之。有城柵。其言語不與馬韓同、'''名國為邦'''、弓為弧、賊為寇、行酒為行觴。相呼皆為徒、有似秦人、非但燕、齊之名物也。}}