「タラワの戦い」の版間の差分

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また記録映画を公開したところ、米軍の重傷者や遺体の映像によって一時的に志願兵の応募率が低下したという騒動が起きた。
 
{{Quotation|(作戦指導に批判の声が上がる一方で)「タラワ」の名はアメリカ国内に知れ渡った。それは、アメリカ国民の勇気と犠牲の精神を象徴するものとして、独立戦争中に持久戦に耐えたフォージ渓谷、テキサス独立戦争でメキシコ軍に対してアメリカ側独立軍が全滅したアラモ砦、第一次世界大戦の激戦地ベローウッド、そしてガダルカナル島と並んで、国民の記憶に長く留まる地名となったのだ|[[ユージーン・スレッジ]]/[[伊藤真]]{{要曖昧さ回避|date=2017年10月}}・[[曽田和子]]訳『[[ペリリュー・沖縄戦記]]』40項}}
 
本島の戦いおよびマキンの戦いでの苦戦は、米軍が[[水陸両用作戦]]の改良に力を入れるきっかけとなり、その経験は翌年の[[クェゼリンの戦い]]で生かされた。