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'''ロンドン動物学会'''(ロンドンどうぶつがっかい)あるいは'''ロンドン動物学協会'''(ロンドンどうぶつがくきょうかい、{{Lang-en-short|Zoological Society of London}}、'''ZSL''')とは、[[1826年]]4月に[[ロンドン]]に設立された[[学術団体]]である。サー・[[トーマス・ラッフルズ]]、第2代[[オークランド男爵]][[ジョージ・イーデン (初代オークランド伯爵)|ジョージ・イーデン]]、第3代[[ランズダウン侯爵]][[ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス (第3代ランズダウン侯爵)|ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス]]、サー・[[ハンフリー・デービー]]、[[ロバート・ピール]]、[[ジョセフ・サビーネン]]、ニコラス・ヴィゴーズらによって設立された。最初の会議で[[リージェンツ・パーク]]の一画を王室からすでに得ていたが、1829年3月に[[ジョージ4世 (イギリス王)|ジョージ4世]]から免許状を受け取った。
 
== 歴史 ==
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ロンドン動物学会は当時のイギリスの主要な科学者によって設立された。「全ての科学的団体の高貴なる親」と呼ばれた[[ロンドン王立協会]]は[[自然科学]]の力強さを明らかにし、1788年の[[ロンドン・リンネ学会]]の設立につながった。その目的は「自然史の科学研究の全分野、特にグレートブリテンとアイルランドの自然史の洗練」と定められた。しかしリンネが植物学者であったことから、リンネ学会は植物により大きな関心を持っていた。
 
1822年11月29日に「近代動物学の父」[[ジョン・レイ (博物学者)|ジョン・レイ]]の誕生日にあわせて行われたリンネ学会の会合で昆虫学者[[ウィリアム・カービー (昆虫学者)|ウィリアム・カービー]]は「リンネ学会の動物学クラブ」を作る決心をした。1816年から1826年の間、ラッフルズ、デービー、[[ジョセフ・バンクス]]らは議論を行い、[[パリ植物園]]のような形で動物を収集し、公共の関心を引き楽しませる組織が必要だと感じた。協会の目的は動物を収集し、余暇に図書館と博物館で学べることだった。1828年に会員向けに動物庭園が開園された。[[ウィリアム4世 (イギリス王)|ウィリアム4世]]は協会に王室の動物コレクションを寄贈した。1847年に資金の問題を解決するために市民にも開放された。ロンドン市民はすぐにこの動物学庭園(ズーオロジカル・ガーデン)を'''[[動物園|ズー]]'''と略した。この[[ロンドン動物園]]はすぐに世界でもっとも広範なコレクションを有する動物園となった。
 
20世紀が始まると動物をより自然に近い環境で飼育して観察する必要性が明らかとなった。協会の事務局長[[ピーター・チャルマーズ・ミッチェル|ピーター・ミッチェル]](在職1903-1935)はロンドンから110km以内で市民がアクセスしやすく、少なくとも200エーカーの広さを持つ新たな公園を作ろうと考えた。1926年に農業の不況から都合の良い場所場見つかった。協会はホイップスネイド村の近くのホール牧場を13,480ポンドで購入した。最初の動物は2羽の[[キジ]]、1羽の[[キンケイ]]、5羽の[[セキショクヤケイ]]であった。1931年にホイップスネイド公園は世界初の野外動物園として市民に公開された。