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{{テニス選手
|選手名(日本語)=リリ・デ・アルバレス
|写真=Lili de Alvarez 1926.jpg
|写真サイズ=230px
|写真のコメント=リリ・デ・アルバレス
|選手名(英語)=Lili de Alvarez
|フルネーム(英語名)=Elia Maria González-Álvarez y López-Chicheri
|愛称=
|国籍={{ESP}}
|出身地=イタリア・ローマ
|居住地=
|誕生日={{生年月日と年齢|1905|5|9|死去}}
|没年日={{死亡年月日と没年齢|1905|5|9|1998|7|8}}
|死没地=スペイン・マドリード
|身長=
|体重=
|利き手=右
|バックハンド=
|殿堂入り=
|デビュー年=
|引退年=
|ツアー通算=
|シングルス=
|ダブルス=
|生涯通算成績=
|シングルス通算=
|ダブルス通算=
|全豪オープン=
|全仏オープン=ベスト4(1930・31・36・37)
|ウィンブルドン=準優勝(1926-28)
|全米オープン=
|優勝回数=
|全豪オープンダブルス=優勝(1929)
|全仏オープンダブルス=
|ウィンブルドンダブルス=
|全米オープンダブルス=
|ダブルス優勝回数=1(仏1)
|全豪オープン混合ダブルス=
|全仏オープン混合ダブルス=準優勝(1927)
|ウィンブルドン混合ダブルス=ベスト8(1926・36)
|全米オープン混合ダブルス=
|混合ダブルス優勝回数=
|シングルス最高=
|ダブルス最高=
}}
'''リリ・デ・アルバレス'''('''Lili de Alvarez''', [[1905年]][[5月9日]] - [[1998年]][[7月8日]])は、[[スペイン]]の女子[[テニス]]選手。[[イタリア]]・[[ローマ]]生まれ。[[1920年代]]後半に活躍し、[[ウィンブルドン選手権]]の女子シングルスで[[1926年]]から[[1928年]]まで3年連続準優勝した選手である。[[1929年]]の[[全仏オープン|全仏選手権]]女子ダブルスで[[コルネリア・ボウマン]]([[オランダ]])とペアを組んで優勝し、[[スペイン]]人の女子テニス選手として最初の[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]優勝者となった。アルバレスは当時の女子テニス選手としては前衛的なファッションで、キュロット・スカートなどを着こなし、当時の観客や写真家たちの人気者であった。技術的にはドライブ・ボレーやハーフ・ボレーの名手であったが、ここ一番の重要な場面でミスショットが多かったという。<!-- ''Elia María González-Álvarez y López-Chicheri'' -->
 
== 来歴 ==
リリ・デ・アルバレスは[[1926年]]に[[1926年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン選手権]]の女子シングルス決勝に初進出したが、最初の時は[[キャスリーン・マッケイン・ゴッドフリー|キティ・ゴッドフリー]]に 2-6, 6-4, 3-6 で敗れた。[[1927年ウィンブルドン選手権|1927年]]と[[1928年ウィンブルドン選手権|1928年]]のウィンブルドン決勝では[[ヘレン・ウィルス・ムーディ|ヘレン・ウィルス]]に2年連続で敗れ、結局ウィンブルドンの女子シングルスでは3年連続準優勝に終わってしまう。ウィンブルドンで2度目の準優勝になった[[1927年]]、デ・アルバレスは[[1927年全仏テニス選手権|全仏選手権]]の混合ダブルス部門で[[ビル・チルデン]]とペアを組んだ準優勝があり、[[ジャン・ボロトラ]]&[[マルグリット・ブロクディス]](ともに[[フランス]])組に敗れている。[[1929年]]の[[1929年全仏テニス選手権|全仏選手権]]で、デ・アルバレスは[[オランダ]]の[[コルネリア・ボウマン]]とペアを組み、ようやく[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]のタイトルを獲得した。これは[[スペイン]]のテニス選手が獲得した最初のグランドスラム・タイトルである。その後のアルバレスは、[[全仏オープン|全仏選手権]]の女子シングルスで[[1930年全仏テニス選手権|1930年]]・[[1931年全仏テニス選手権|1931年]]と2年連続ベスト4進出があった。[[1930年全仏テニス選手権|1930年]]の準決勝では[[ヘレン・ジェイコブス]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]])、[[1931年全仏テニス選手権|1931年]]の準決勝では[[シリー・アウセム]]([[ドイツ]])に敗れ、彼女はとうとう女子シングルスで優勝できなかった。
 
その後、アルバレスは[[フランス]]のヴァルデーヌ伯爵と結婚して「ヴァルデーヌ伯爵夫人」(''Comtesse de la Valdéne'')になり、しばらくフランスに住んだ。しかし1939年にひとりっ子を失い、夫婦はすぐに離別してしまう。アルバレスは離婚後すぐに[[スペイン]]に帰り、以後はスペインの首都[[マドリード]]で暮らした。帰国後はスペインで[[フェミニズム]]の運動に参加し、著名なジャーナリストとしても活動した。スペイン女子選手の先駆者となったリリ・デ・アルバレスは、[[1998年]][[7月8日]]に[[マドリード]]で93歳の長寿を全うした。
 
リリ・デ・アルバレスの生涯の最晩年に、[[アランチャ・サンチェス]]と[[コンチタ・マルチネス]]の2人が“スペイン女子2強豪”として活躍を始める。サンチェスは[[1989年]]の[[1989年全仏オープンテニス|全仏オープン]]に17歳5ヶ月で初優勝を飾り、4大大会女子シングルスに4勝を挙げて、スペイン最大の女子テニス選手に成長した。[[コンチタ・マルチネス]]は[[1994年]]の[[1994年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]女子シングルス優勝者となり、66年前に(3年連続で)アルバレスが届かなかった夢を実現させた。彼女たちの先駆者となったリリ・デ・アルバレスは、[[1998年]][[7月8日]]に[[マドリード]]で93歳の長寿を全うした。
== 4大大会成績 ==
* [[全仏オープン|全仏選手権]] 女子ダブルス優勝:1929年、混合ダブルス準優勝:1927年
* [[ウィンブルドン選手権]] 女子シングルス準優勝:3度(1926年-1928年)
== 外部リンク ==
* [http://www.elmundo.es/1998/07/09/opinion/09N0017.html エル・ムンド紙] (スペイン語) 1998年7月9日付、アルバレスの訃報。
* [http://tennis.quickfound.net/history/helen_wills.html テニス] (英語) ウィンブルドン決勝の対戦相手、[[ヘレン・ウィルス・ムーディ|ヘレン・ウィルス]]が[[1928年]]に著した自伝。抜粋をオンラインで読める。
== 参考文献 ==
* [[バド・コリンズ|Bud Collins]], “''Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia''” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3
* Martin Hedges, “''The Concise Dictionary of Tennis''” (コンサイス・テニス辞書) Mayflower Books Inc., New York (1978) ISBN 0-8317-1765-3
 
== 外部リンク ==
* [http://www.elmundo.es/1998/07/09/opinion/09N0017.html エル・ムンド紙] (スペイン語) 1998年7月9日付、アルバレスの訃報。
* [http://tennis.quickfound.net/history/helen_wills.html テニス] (英語) ウィンブルドン決勝の対戦相手、[[ヘレン・ウィルス・ムーディ|ヘレン・ウィルス]]が[[1928年]]に著した自伝。抜粋をオンラインで読める。
* {{SportsReference}}
 
{{全仏テニス選手権女子ダブルス優勝者}}
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{{DEFAULTSORT:あるはれす りり}}
[[Category:スペインのテニス選手]]
[[Category:オリンピックテニススペイン代表選手]]
[[Category:1924年パリオリンピックテニス出場選手]]
[[Category:1905年生]]
[[Category:1998年没]]