「三波伸介 (初代)」の版間の差分

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[[1982年]][[12月8日]]15時過ぎ、明かりが落ちた自宅の居間で倒れているのを外出から戻って来た妻の和子と付き人波連太郎が発見、救急車で病院へ運ばれたが既に呼吸・[[心停止]]の意識不明状態で、[[大動脈解離|解離性大動脈瘤破裂]]により意識は戻らないまま急逝した。{{没年齢|1930|6|28|1982|12|8}}。
 
[[肥満|肥満体]]であったことと、多忙のため多い日でも3〜5時間しか睡眠を取れず、[[タバコ]]は一日最低でも3箱を吸い、さらに[[コーヒー]]も数杯好んで飲んでいた。亡くなる2ヵ月前にあった[[名古屋市|名古屋]]の[[中日劇場]]での[[座長公演]]の際には、朝食は食べず昼食は[[味噌煮込みうどん]]、夕食はホテルで300グラムの[[ビーフステーキ]]という生活を、1ヵ月の公演中毎日続けたという。このような偏った食生活も早逝の一因なったと思われる。ただし、ついて三波のマネージャーは「健康のために嫌いなものを食べるのもひとつの生き方。でも、好きなものを毎日食べてあの世に行くのもひとつの生き方」と述べている。その一方酒は[[下戸]]で一滴も飲まなかった。亡くなった当日のスケジュールには出演予定は無く、朝食は家族で水入らずのなか、ご飯のお代わりをしていたとう。
 
多くのレギュラー番組を抱え、名司会者として順風満帆の芸能生活を送っていた矢先の死だった。突然の[[訃報]]を受け駆けつけた盟友の伊東は対面で開口「こりゃあウソだろう。寝てるんだろう!」と発し記者会見の場で、「(三波の亡骸を触ったときに)体がまだ温かいんですよ。温かいものだから死んだ気がしなくて……。寄らば大樹の陰で、私などは彼のおかげでここまで来れた。(てんぷくトリオは)もう一人になってしまったんだなぁ……」と言いながら号泣した。[[棺]]に納められる際の三波は、妻の和子、長男の伸一(現:[[三波伸介 (2代目)|2代目三波伸介]])と伊東によって黒の紋付き袴が着せられた。