「会稽山」の版間の差分

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==名称==
旧名を'''茅山'''、別名を'''畝山'''と称す。[[夏 (三代)|夏朝]][[禹]]の時代には会稽山の名称が使用されていた。[[禹]]が死去した地であると記されており、現在も禹を祭った禹王廟が位置する。地名は禹が死去する際、諸侯が一堂に会しその業績を計ったことから「会稽(会計に通じる)」と称されるようになった。しかし近年の言語学者らの研究により、会稽は越語の「茅山」という意味である、江南は古代中国では越国の領地であって、言語も当然越語が使われていた。
 
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