「オーラヴ5世 (ノルウェー王)」の版間の差分

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S-alfeyev (会話 | 投稿記録)
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1924年にノルウェー陸軍士官学校を卒業した後、[[オックスフォード大学]][[ベリオール・カレッジ (オックスフォード大学)|ベリオール・カレッジ]]で法学と経済学を学んだ。1929年にスウェーデン国王[[オスカル2世 (スウェーデン王)|オスカル2世]]の三男[[カール (ヴェステルイェートランド公)|ヴェステルイェートランド公カール]]の次女で、父方の従姉にあたる[[マッタ・アヴ・スヴェーリエ|マッタ]]と結婚した。2人の間には1男2女、[[ラグンヒル (ノルウェー王女)|ラグンヒル]]、[[アストリッド (ノルウェー王女)|アストリッド]]、[[ハーラル5世 (ノルウェー王)|ハーラル5世]]が生まれた。
 
[[アスリート]]としても知られ、1928年の[[アムステルダムオリンピック]]では[[ヨット|セーリング]]で[[金メダル]]を獲得している。なおノルウェー代表唯一の金メダルだっ。この他にスキージャンプも行っていた。
 
[[第二次世界大戦]]中は父王とともにイギリスに亡命しつつ[[ナチス・ドイツ]]に抵抗し、ノルウェーの解放後に帰国した。1957年、父の死去により王位を継承した。即位した後はその誠実な性格から「国民の王」として庶民から愛された。オーラヴ5世は国王であるにも関わらず自分で[[自動車]]を運転することを好み、自ら[[ステアリング・ホイール|ハンドル]]を握り[[スキー場]]に向かう姿が良く見かけられた。