「花火 (ストラヴィンスキー)」の版間の差分

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== 作曲の経緯 ==
ストラヴィンスキーの自伝によると、『花火』は1908年に恩師[[ニコライ・リムスキー=コルサコフ]]の娘のナジェージダと、同門の作曲家[[マクシミリアン・シテインベルク]]との結婚を記念して作曲されたが、リムスキー=コルサコフはその年の6月に亡くなったために、演奏を聴くことは出来なかった<ref>自伝 p.36</ref>。ストラヴィンスキーは師の追憶のために『葬儀の歌』を作曲したが、それ以前に『花火』は一応の完成を見ており、シテインベルク夫妻は7月11日に曲の感想を書いている<ref>Walsh (1999) p.113</ref>。
 
== 演奏 ==