「王羲之」の版間の差分

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== 真筆 ==
[[太宗 (唐)|唐の太宗]](李世民)は王羲之の書を愛し、真行290紙・草書2000紙を収集した<ref>『[[法書要録]]』([[張彦遠]]編)第4巻に収録された『[[中国の書論#二王等書録|二王等書録]]』([[中国の書家一覧#張懐カン|張懐瓘]]撰)に、「右軍書大凡二千二百九十紙,裝為十三帙一百二十八卷:'''真書五十紙''',一帙八卷,隨木長短為度;'''行書二百四十紙''',四帙四十卷,四尺為度;'''草書二千紙''',八帙八十卷,以一丈二尺為度。」とある([[:zh:s:二王書錄|『二王等書録』の原文]])。</ref>。崩じた時死去当たって『蘭亭序』を一緒に自らの陵墓である[[昭陵 (唐)|昭陵]]に埋め副葬させたと言われている。その後戦乱を経て王羲之の真筆は全て失われたと考えられている。現在、王羲之の書とされているものも、唐代以降に模写したものと、石版や木板に模刻して制作した拓本のみであるとされている。『[[#快雪時晴帖|快雪時晴帖]]』は、古くは唯一の真筆と考えられており、[[清]]の[[乾隆帝]]はこの書を愛し、自ら筆を持ち「神」と記した。しかし現在では『[[#喪乱帖|喪乱帖]]』などと同様に、精密な[[双鉤填墨]]等の手法による模写本であるとされている<ref name="suzukihiro18"/><ref>比田井南谷 P.115、PP..117 - 118</ref>。
 
{{Wide image|The_Calligraphy_Model_Sunny_after_Snow_by_Wang_Xizhi.jpg|3000px|『[[#快雪時晴帖|快雪時晴帖]]』([[故宮博物院#中華民国 台北市|台北・国立故宮博物院]]蔵)<br />図の中央より少し右側の上部に「神」という字が草書体で書かれているが、本帖は、その「神」のすぐ右側の色の濃くなった紙面上の4行。このように古びて[[搨模]]の痕跡が見分けにくくなっている<ref name="naitou167">内藤乾吉 PP..167-168</ref>。<br />【釈文】羲之頓首。快雪時晴佳。想/安善。未果為結。力不次。王/羲之頓首。/山陰張侯<ref name="naitou167"/>。|dir=rtl}}