「吉田ヒロ」の版間の差分

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*東京進出から大阪に戻った後、大阪でレギュラー出演していた『[[摩訶不思議 ダウンタウンの…!?]]』にて、東京の空気に馴染めず「ごっつええ感じ」のレギュラーから降板したことを[[松本人志]]や[[篠原涼子]]にネタにされヒロは真剣に怒っていた。
 
*今田耕司との関係においては、ヒロの方が2年先輩にあたるが、今田からは「ヒロ」と呼び捨てにされており、タメ口で会話されている(年齢は今田の方が2学年上)。その反面ヒロは今田のことを呼び捨てにせず「今ちゃん」と呼び、年下の同期であるかのような接し方をしている。理由は、NSC卒業後は通っては後の[[きびのだんご]]と「和田・吉田」とうコンビを組んで1度はデビューしたが、NSC卒業ほどなく解散し、そのから1986年まで芸能活動をしていなかった為で(芸能活動において空白期間がある。つまり、NSC卒業しだけは先輩もある([[チュートリアル (お笑いコンビ)]]の[[徳井義実]]の例類似。詳細ならない本人である項を参照)。新喜劇においても芸歴は座長の中では内場に次いで長いが、辻本、石田よりも新喜劇入団(実際にはほぼ同時期だがすぐに東京進出したため実質的には1993年頃)、事実上の座長(ニューリーダー)就任は遅く年下でもあるためほぼ後輩扱いされている。だが、本人はテレビでこのことについて質問されたとき「(自分は)ナメられ[[キャラ (コミュニケーション)|キャラ]]やからな」と納得している口調で言っており、細かいことは気にしていないようである。上記のように選り好みをしない性格から芸人仲間からは先輩・後輩問わず慕われている。また[[バッファロー吾郎]]の名付け親でもある。
 
*似顔絵の才能も有しており、自身が描いた共演している他の新喜劇メンバーの似顔絵をギャグのネタに使うことが少なくない。また、過去に使われていた[[毎日放送]]系列『[[よしもと新喜劇]]』のオープニングCGは、ヒロの原画を基にした物で、エンディングのスタッフロールに"[[イラスト]]/吉田弘典"と本名がクレジットされていた。