「富井政章」の版間の差分

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他方、国の実状を直視し、沿革的・比較法的研究を踏まえつつも法の不備を認め<ref>法の不備を認めるものとして、特に[https://books.google.co.jp/books?id=ok3yo86YdzMC&pg=RA1-PA46 富井 『民法原論 第一巻総論上』 71頁]、[{{NDLDC|1272358/54}} 富井 『民法原論 第三巻債権総論上』 85頁]。</ref>、要点を簡明に明らかにして裁判官の運用にゆだねるべきとするのが、法典論争からの一貫した主張であり、主著『民法原論』に現れたように、それが学風となっている<ref>大村(1996)、32頁。</ref>。
 
長年にわたり東京帝大の民法講座を担当し、後に[[鳩山秀夫]]に引き継がれることになる東大民法学の基盤を確立。理路整然、簡にして要を得た名講義であったと伝えられる<ref>杉山(1936)、162頁。</ref>。条文などもほぼ全部暗記していたようである<ref>[[勝本正晃]]著 『法律・画・釣』 [[河出書房新社|河出書房]]、1942年7月、13頁。</ref>。
 
留学時代の猛勉強から病弱であったが、健康に気を使ったため結果的に起草三博士の中で最も長命であった<ref>杉山(1936)、46頁、112-114頁。</ref>。しかし、慎重を期する性格のため、梅が民法典全分野についての著書『民法要義』を僅か五年ほどの内に完結したのに対し、富井の民法原論はついに債権総論の上巻までしか日の目を見ることはなかった<ref>財産法分野に関しては、非公式の講義録によって学説の全貌をうかがい知ることができる。</ref>。