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== 日本の歴史人口学 ==
近代以前の日本の人口の推定は、西道智や[[新井白石]]などの[[天文学者]]、[[儒学者]]、[[国学者]]に始まり、明治期以降伊能穎則、[[横山由清]]、ガーレット・ドロッパーズ、[[吉田東伍]]などが試算をしてきた。昭和初期には数学者の澤田吾一が古文書の綿密な考察により奈良時代から平安時代にかけての律令時代の推定人口をまとめた。その後[[本庄栄治郎]]、[[高橋梵仙]]、関山直太郎らの研究があり、最近では先史時代については[[小山修三]]、律令時代については[[鎌田元一]]、鎌倉・室町時代については、ウィリアム・ウェイン・ファリス(William Wayne Farris)、江戸時代については[[速水融]]や[[鬼頭宏]]らの研究がある。
 
推定人口は、戸数、郡郷数、田積数、課丁数(『律書残篇』、『[[和名類聚抄]]』、『[[拾芥抄]]』、『[[宋史]]日本伝』、『大田文』)、石高(『天正記』『当代記』記載の[[太閤検地]]総石高)、出挙稲数([[弘仁式]]・[[延喜式]]正税帳)、あるいは遺跡の数などを基にモデル計算されていた。日本の場合は[[宗門人別改帳]]という良質な史料があったのでその研究によって数々の成果が得られた。例えば[[17世紀]]の爆発的な人口増加や出稼奉公による都市と農村の関係性などである。これらは近世[[社会史]]に新しい視点をもたらしている。