「アルフレッド・V・キダー」の版間の差分

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北米では考古学者たちは自分の調査について「ペーコス分類」に多少の手を加えたヴァリエーションを提示したり、いくつかの遺跡の調査で、近い年代を割り当てたり、遺跡同士の文化的なつながりや違いを決定していった。1936年にキダーは紀元前200年ごろから紀元1300年ごろの南西部に住む特殊な先住民の文化的な集合体を[[ナバホ族]]の間で用いられてきた概念を当てて[[アナサジ]](Anasazi)と名づけることを公式に提唱した。この概念は、[[リチャード・ウェザーリル]]の野外調査以来、「古代の人々」という意味で発掘担当者の間で非公式に用いられ、ペーコスの研究大会の席上でも口頭で用いられてきたものであった。
 
キダーは、[[カーネギー研究所]]で1927年から29年に考古学的調査に従事しつつ、1929年から50年は、歴史研究部門の議長の席にあって、[[グアテマラ]]高地における[[マヤ文明]]の[[層位学的研究法|層位的]]な枠組みを考えるための大規模な学際的プログラムを指揮した。特に著名な実績は1936年から1942年に行われたグアテマラ・シテ近郊の[[カミナルフュー]]遺跡の調査の成果を、克明な調査風景や遺構・遺物の検出状況の写真、詳細な[[遺構]]の[[実測図]]と遺物の写真及び実測図が詳細な記述とともに掲載された優れた報告書である「グアテマラ、カミナルフユー遺跡の発掘(Excavations at Kaminaljuyu,Guatemala)」としてJesse D.Jennings(ジェス・ジェニングス)、Edwin M.Shook(エドウィン・シュック)との共著で1946年に公刊したことである。また、1939年に[[ピーボディ博物館]]の南西部部門の名誉主任学芸部長になった。1951年にキダーは、トーマス・スチュアート・ファーガスンと[[ゴードン・R・ウィリー|ゴードン・ランドルフ・ウィリー]](Gordon R.Willey)とのハーバード大学における議論では、[[メキシコ]]と[[中央アメリカ]]の考古学の水準を維持する基金を設立することを決定した。この三人の偉大な研究者による合意について、ファーガスンは、「メキシコと中央アメリカにおける考古学的調査は、その地域的重要さにもかかわらず、ごくわずかしか行われてこなかったし、踏査や[[発掘調査]]などなにかを行う機会をふやしていかなければならない不幸な状況にあった。1930年代から50年代に行われた調査によって驚くべき発見がもたらされてきたにもかかわらず、1951年時点で[[先古典期]]の研究は行きづまりをみせていた。この会議の結果は、[[新大陸]]最古の高度な文化が栄えたメキシコと中央アメリカの先古典期研究に専念する新しい組織の設立であり大いに歓迎すべきことである。」と述べている。翌年、[[カリフォルニア州]]でNew World Archaeological Foundation(NWAF,新大陸考古学基金)が非営利で科学的な調査の実施主体となる機関として設立された。     
 
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