「ジョージ・ケスラー」の版間の差分

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ケスラーの[[計画]]は、地形、水系等の[[自然条件]]を生かすことを基本とし、[[工業地帯]]と[[住宅地]]を分離し、前者は、ミズーリ川沿いの低地、後者はその後背地の台地上とし、貯水池のある台地上の地域、[[景勝地]]等は、[[公園]]及び[[保存地]]に、これらの緑地を広幅員街路により結び、良好な市街地開発の計画的誘導を図るものとした。
 
主要なブールバール、パセオ(友好都市[[メキシコ・シティ]]のPaceoにちなんでつけられた)の計画後(1914年)からカンザス・シテ、[[パークシステム]]の本質が市街地開発事業にあり、ブールバールは住宅地の[[幹線街路]]として標準幅員は100フィート(約30m)にしている。このうち、車道が12m、両側に9mの緑地帯を設け、合計で6列の並木により構成していた。なおパークウェイは、谷間の水系にそって[[景観道路]]として計画され、[[幅員]]構成が30ないし300mと変化にとんでおり、雨水排水系としての機能をも有していた。
 
また、ケスラーは[[ディテール]]に至るまで緻密な設計を行った。[[:en:The Paseo (Kansas City, Missouri)|パセオ]]の交差点には矩形の[[中央分離帯]]を設け、それぞれに[[噴水]][[広場]]、[[沈床花壇]]、[[パーゴラ]]等を配置した。当時は1893年の[[シカゴ博覧会]]の影響を受け、古典主義が復興しており、ヨーロッパにおいて伝統的な造園教育を受けたケスラーの力量が発揮されたことになる。