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1900年に[[オランダ]]の[[ユーゴー・ド・フリース]]の[[論文]]とメンデルの論文を読んだベイトソンは「メンデルの法則」の重要性を悟り、1902年にメンデルの論文を英語に翻訳し、以後メンデルの法則の強力な弁護者となった。そのため英語圏ではド・フリースをはじめとする三人の再発見者よりも「再発見者」として有名である。
 
ベイトソンは今日でも使用されている遺伝に関する様々な[[造語]]をつくったことでも知られている。そのなかでも特に有名な「''genetics''<ref>ギリシア語の''&#947;&#949;&#957;&#957;&#974;''から</ref>」は[[アダム・セジウィック]]への1905年4月18日付の私信で最初に使用されている。"allelomorphs" (短縮されて''allele''、[[対立遺伝子]])、 "zygote"([[接合子]])、 "heterozygote"([[ヘテロ接合型]])、"homozygote"([[ホモ接合型]])なども彼の造語である。また"gene"([[遺伝子]])という言葉も[[ウィルヘルム・ヨハンセン]]が1909年に提唱する3年前、1906年の第3回国際遺伝学会議で使用していた。
 
1908年、ケンブリッジ大学の遺伝学教授に就任。1910年に[[レジナルド・パネット]]とともに[[遺伝的連鎖]]を発見。同年、パネットとともに"''The Journal of Genetics''"を創刊した。