削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m 注釈化
3行目:
== 概説 ==
{{観点|section=1|date=2008年5月}}
[[江戸時代]]に[[精神病]]の呼称として[[平安時代]]からの「[[狐憑き|物狂い]]」に加えて「きちがひ(幾知可比)」としてこの言葉が生まれた<ref>精神医学の歴史 [[小俣和一郎]] [[第三文明社]] ISBN 9784476012521 p120</ref>。当時の[[公文書]]、少なくても[[仕置]]に関する公文書(たとえば判例集の[[御仕置裁許帳]])では、江戸時代はじめ[[1670年代]]から[[1680年代]]までは「気違」が使われていたが{{Refnest|group="注"|のちに「乱気」や「乱心」が使われるようになる<ref>{{PDFlink|[http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/6826/1/2009000924.pdf 江戸時代後期における精神障害者の処遇[3<nowiki>]</nowiki>]}} 板原和子 桑原治雄 社会問題研究・第49巻第2号 2000年 p196</ref>。}}、罵り言葉としてもしばしば使われる一方で、「○○キチガイ」といった表現は「○○愛好家」「○○マニア」といった肯定的な意味で使われている<ref group="注">テレビ番組『[[ウルトラマン]]』の第2話(1966年)では科特隊のイデ隊員が自分自身を「宇宙語に関してはきちがいだ」と自慢するシーンがある。</ref><ref>釣り漫画『[[釣りキチ三平]]』の「釣りキチ」とは、釣りの愛好家を指す「釣りキチガイ」の略である。</ref>。
 
テレビ等の日本のメディアで使用が忌避される単語だが、特に法律で使用が禁止されているわけではない。特に[[1970年代]]頃まではテレビや書籍、漫画などのメディア媒体や一般の会話でも日常的に使われていた。[[1974年]]以降一時期、精神障害者の家族らで構成される[[精神障害者家族会]]の会の一部から、家族は萎縮し、回復治療期に、テレビ・ラジオでこの語を聞いた精神障害者がショックを受けることにより、治癒を妨げる等の医学的根拠を理由に大阪の各放送局が激しい抗議を受けたことが発端となり、以降使用自粛につながった。[[テレビ]]・[[ラジオ]]を一日中モニターする体制を整え、[[日本放送協会|NHK]]、[[民間放送|民放]]を問わず、時には団体幹部の独断でも抗議するという激しさであった<ref>「封印作品の謎」安藤健二 [[太田出版]] ISBN 978-4872338874</ref>。このため、現在ではほとんどの放送局で[[放送禁止用語]]とされるか、あるいは放送を自粛すべき言葉とされている。これが転化して放送禁止用語=差別用語とみなされるようになった。スタジオには「気違いは禁句」と書いた紙を貼り出して誤って使用したりすることがないように努めている。例えば『[[荒野の素浪人#第2シリーズ[新・荒野の素浪人](全39話)|新・荒野の素浪人]]』第22話「くノ一情話」(1974年5月28日放送)でこの語を使用していたため、放送局で最初に抗議を受けた[[毎日放送]]では謝罪し、1974年8月からスタジオに「きちがいというコトバは禁句」の掲示板を常設することになった。一般社会においても[[差別用語]]とされる。<!--これは、差別利権発生の黎明期の事案としてよく語られる。-->
 
現在ではテレビはもちろん、書籍や漫画、一般の会話でも使用されることは減っている。昔の名作ドラマや、アニメがソフト化などされる際によくこの言葉が入っているので、以前はカットされる動きがあったがボイス部分に不自然な空白(無音)が生まれるため、最近では「原作を尊重する」意味で手を加えないことも多くなっている(冒頭に「お断り」のテロップが入れるのみで手を加えないことも多くなってい。昔の漫画や書籍が近年になって復刻される際にも、「きちがい」や「気が狂う」という表記は「気が変になる」「気がおかしくなる」など、比較的穏当な表現に差し替えられるか、全く別のセリフに置き換えられることが多い。ただし、一部の復刻本では「当時の表現を尊重」し、断り書きを載せた上であえてそのままにしている場合もある。現代の漫画や書籍においては「きちがい」と堂々と書かれることはほとんどないものの、「き○がい」など一部を伏字にした上で書かれる例もある<ref group="注">英語における[[ファック|fuck]]などと同様である。</ref>
 
「気」という言葉の意味は日本語的に広い解釈があり(たとえば「病気」「気が弱い」など)、「気」という物の概念の広さから、ほかの人と違う考えを持っている、あるいは若干ずれた考えを持っているという意味も含むという本来の趣旨とかけ離れ、単に世間から見て異常な行動を取る人物、または社会的に容認されない行動、もしくはその人物そのものを指す意味に(悪意的あるいは過剰的に)理解された事情もあり、この言葉を用いることにマスコミ・報道関係が過剰に反応するのはナンセンスであるという意見や、単なる[[言葉狩り]]という意見もある。[[沖縄国際大学]]の山口真也准教授は[[J-CASTニュース]]の取材に対し、団体が言ってくる言ってこないで対応を変えるのはおかしいとし、'''差別とは何かをしっかり考えて言葉を使うべき'''とテレビなどの自主規制の方法に疑問を投げかけている。[[日本民間放送連盟]]も同じテーマの取材に答えており、「状況に応じて必要があれば使われてもいいはず」とした一方、「'''表現で傷つく人もいる以上放送できないのは仕方がない'''」と回答している<ref>{{cite news | url = http://www.j-cast.com/2009/03/08037204.html | title = 女優の「キチガイ」発言で謝罪「放送禁止用語」とは何 | newspaper = [[J-CASTニュース]] | publisher = J-CAST | date = 2009-03-08 | accessdate = 2016-02-11 }}</ref>。
70行目:
 
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
 
=== 出典 ===
<references />