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[[ファイル:Lady with unicorn by Rafael Santi.jpg|thumb|230px||ジュリアの肖像画と思われる「一角獣と貴婦人」、[[ラファエロ]]画]]
'''ジュリア・ファルネーゼ'''(Giulia Farnese、[[1474年]] - [[1524年]][[3月23日]])は、[[教皇|ローマ教皇]][[アレクサンデル6世 (ローマ教皇)|アレクサンデル6世]]の愛妾の1人。「麗しのジュリア」を意味する'''ジュリア・ラ・ベッラ'''(Giulia la bella)と呼ばれた。ロレンツォ・プッチは彼女を「最上の目の保養」と呼び、アレクサンデル6世の息子[[チェーザレ・ボルジア]]は彼女について「暗い色をしたその黒い瞳は、丸みを帯びた顔に独特の情熱を与えている」と述べている。