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{{基礎情報 ベトナムの君主
'''范陽邁2世'''(はんようまいにせい、Phạm Dương Mại II、生没年不詳)は、[[5世紀]]前半の[[チャンパ王国]](林邑国)の国王(在位:[[431年]] - [[446年]])。[[范陽邁1世]]の子。
|名=范陽邁2世
|代数=第2
|呼称=国王
|画像=
|説明=
|王朝=第3王朝
|在位期間=[[421年]]? - [[446年]]
|生年=[[402年]]?
|没年=[[446年]]
|父=[[范陽邁1世]]
|母=
|后妃=
|陵墓=
|注釈=
}}
'''范陽邁2世'''(はんようまい2せい、{{Lang-vi|Phạm Dương Mại II、生没}}, [[402不詳)は、]]? - [[5世紀446年]]前半の)は、[[チャンパ王国]]({{仮リンク|林邑国|zh|林邑}}第3王朝第2代[[諸王の王|国王]](在位:[[431421年]]? - [[446年]])。[[范陽邁1世]]の子
 
== 生涯 ==
もとの名を咄といったが、父王の死後に即位すると、父の生前を慕って「陽邁」と改名した。 [[446年]]、[[宋 (南朝)|宋]]の[[交州]][[刺史]]檀和之の侵攻にさいして[[范扶龍]]に迎撃させたが、范扶龍は敗死し、区粟城を落とされた。さらに宋軍が林邑国都に迫ったため、范陽邁2世は逃亡した。
[[范陽邁1世]]の子。初名を'''范咄'''({{Lang-vi|Phạm Xót}})といったが、父王の死後に即位すると、父にあやかって「陽邁」と改名した。[[424年]]に[[南北朝時代 (中国)|南朝]][[宋 (南朝)|宋]]の[[日南郡]]・[[九徳郡]]に侵攻したが、[[交州]][[刺史]]の杜弘文([[杜慧度]]の長男)に撃退された。[[430年]]に宋に遣使して交州と睦まじくしないことを伝え、許しを求めた。翌[[431年]]には百隻余りの船団をもって日南郡に侵攻した。交州刺史の阮弥之の反撃を受けて、その従弟の奮威将軍阮謙之率いる軍に{{仮リンク|クルン|vi|Khu Túc}}を包囲されたが、暴風雨の影響もあって持ちこたえることができた。范陽邁2世は交州を攻めようとして[[扶南国|扶南]][[カンボジア君主・国家元首一覧|王]]{{仮リンク|シュリ・インドラヴァルマン1世|ru|Шри Индраварман}}に援兵を求めたが、断られた。[[432年]]5月には宋に朝貢の使者を送り、以前のように日南郡をチャンパに帰属させるように求めたが拒絶された。以降も[[433年]]、[[436年]]、[[437年]]、[[440年]]に朝貢を行ったがなおも交州への侵攻をやめなかった。
 
[[446年]]2月、宋の[[文帝 (南朝宋)|文帝]]は交州刺史の{{仮リンク|檀和之|zh|檀和之}}に林邑討伐を命じ、振武将軍[[宗カク|宗{{Lang|ko|愨}}]]の率いる軍が侵攻してきた。宋軍が先鋒を蕭景憲としたのを聞いて恐れた范陽邁2世は金銀を贈って、侵略した日南郡の民戸を返そうとしたが、大臣の{{Lang|zh|䓯}}僧達(『[[南斉書]]』では{{Lang|vi|昪}}僧達、『[[南史]]』では{{Lang|vi|愺}}僧達とする)に諌められて大帥の{{仮リンク|范扶龍|zh|范扶龍}}をクルンの守りにつかせ、クルンが包囲されると将軍の{{仮リンク|范ヒ沙達‎|label=范{{Lang|ko|毗}}沙達|zh|范昆沙達}}を范扶龍の救援に差し向けた。しかし、范{{Lang|ko|毗}}沙達は宗{{Lang|ko|愨}}の伏兵に遭って敗北し、5月には范扶龍も敗死してクルンは陥落した。
さらに勢いに乗じた宋軍が王都{{仮リンク|シンハプラ|vi|Simhapura}}に迫ると、范陽邁2世は[[戦象]]を出して応戦した。しかしこれも宗{{Lang|ko|愨}}の機転によって宋軍が[[ライオン|獅子]]を模ったものを立てると、象は驚いて逃走したために大敗を喫した。范陽邁2世はその子とともに逃亡し、宋軍が引き上げた後にシンハプラに戻ったが、家屋が荒らされて人もまばらな有様を見て憤り、心臓発作を引き起こして死去した。
 
== 参考資料 ==
{{先代次代|[[チャンパ王の一覧]]|第三王朝2代:[[431年]] - [[446年]]|[[范陽邁1世]]|[[范神成]]}}
*{{Cite book|author=[[ジョルジュ・セデス|George Cœdès]]|date=May 1, 1968|title=The Indianized States of South-East Asia|publisher=[[ハワイ大学システム|University of Hawaii]][[:en:University of Hawaii Press| Press]]|isbn=978-0824803681}}
*『[[宋書]]』巻九十七 列伝第五十七 夷蛮
*『[[南斉書]]』巻五十八 列伝第三十九 林邑国
*『[[梁書]]』巻五十四 列伝第四十八 林邑国
*『[[南史]]』巻七十八 列伝第六十八 林邑国
*『[[大越史記全書]]』外紀巻之四 属呉晋宋斉梁紀
*『[[水経注]]』巻三十六 鬱水
 
{{先代次代|[[チャンパ王の一覧|チャンパ王]]|第3王朝2代:<br>[[431421年]]? - [[446年]]|[[范陽邁1世]]|[[范神成|デーヴァニカ]]}}
{{HistoryVietnam-stub}}
{{History-stub}}
{{DEFAULTSORT:はんようまい2}}
[[Category:チャンパ王]]
[[Category:400年代生]]
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[[Category:446年没]]