「ピアノ曲」の版間の差分

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{{Portal クラシック音楽}}
'''ピアノ曲'''(ピアノきょく)は、[[ピアノ]]で[[演奏]]するために作られた曲をいう。
 
優れたピアノ曲を多数残している[[クラシック音楽]]の作曲家には、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]、[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]、[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]、[[フレデリック・ショパン|ショパン]]、[[ロベルト・シューマン|シューマン]]、[[フランツ・リスト|リスト]]、[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]、[[ガブリエル・フォーレ|フォーレ]]、[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]、[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]、[[セルゲイ・ラフマニノフ|ラフマニノフ]]、[[アレクサンドル・スクリャービン|スクリャービン]]などがいる。
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特に広く知られた作品を作曲家の生年順に並べてある。なお、独奏曲以外の作品も含む。
* 1756年 [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]] - [[きらきら星変奏曲]]、幻想曲ハ短調
* 1770年 [[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]] - [[エリーゼのために]]、[[6つのバガテル (ベートーヴェン)|6つのバガテル]]、[[エコセーズ]]
* 1797年 [[フランツ・シューベルト|シューベルト]] - [[楽興の時 (シューベルト)|楽興の時]]、即興曲[[4つの即興曲D899|D899]]と[[4つの即興曲D935|D935]]
* 1806年 [[ヨハン・ブルグミュラー|ブルグミュラー]] - [[練習曲 (ブルグミュラー)|25の練習曲]](「貴婦人の乗馬」など)
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* 1813年 [[シャルル=ヴァランタン・アルカン|アルカン]] - [[鉄道 (アルカンの作品)|鉄道]]、[[長調による12の練習曲]]、[[短調による12の練習曲]]
* 1830年 [[グスタフ・ランゲ|ランゲ]] - 花の歌
* 1833年 [[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]] - [[ハンガリー舞曲]]、[[2つのラプソディ (ブラームス)|2つのラプソディー]]
* 1837年 [[ミリイ・バラキレフ|バラキレフ]] - [[イスラメイ]]
* 1838年 [[テクラ・バダジェフスカ|バダジェフスカ]] - [[乙女の祈り (バダジェフスカの曲)|乙女の祈り]]
* 1839年 [[モデスト・ムソルグスキー|ムソルグスキー]] - [[展覧会の絵]]
* 1841年 [[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]] - [[スラヴ舞曲]]、[[ユーモレスク (ドヴォルザーク)|ユーモレスク]]
* 1843年 [[エドヴァルド・グリーグ|グリーグ]] - [[抒情小曲集]]
* 1843年 [[ガブリエル・フォーレ|フォーレ]] - [[夜想曲 (フォーレ)|夜想曲]]など
* 1860年 [[イサーク・アルベニス|アルベニス]] - [[イベリア (アルベニス)|イベリア]]
* 1862年 [[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]] - [[ベルガマスク組曲]](「月の光」など)、[[喜びの島]]、[[2つのアラベスク|アラベスク]]、[[子供の領分]]、[[前奏曲 (ドビュッシー)|前奏曲集]]、[[映像 (ドビュッシー)|映像]]、[[練習曲 (ドビュッシー)|練習曲]]
* 1866年 [[エリック・サティ|サティ]] - [[ジムノペディ]]、[[グノシエンヌ]]、[[神秘的なページ]]([[ヴェクサシオン]]など)、[[ジュ・トゥ・ヴー]]
* 1872年 [[アレクサンドル・スクリャービン|スクリャービン]] - 練習曲、[[幻想曲 (スクリャービン)|幻想曲]]、左手のための夜想曲、[[焔に向かって]]
* 1873年 [[セルゲイ・ラフマニノフ|ラフマニノフ]] - [[前奏曲 (ラフマニノフ)|前奏曲]]、[[音の絵]]、[[楽興の時 (ラフマニノフ)|楽興の時]]、ピアノ協奏曲[[ピアノ協奏曲第1番 (ラフマニノフ)|第1番]][[ピアノ協奏曲第2番 (ラフマニノフ)|第2番]][[ピアノ協奏曲第3番 (ラフマニノフ)|第3番]]
* 1875年 [[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]] - [[水の戯れ]]、[[クープランの墓]]、[[マ・メール・ロワ]]、[[亡き王女のためのパヴァーヌ]]、[[高雅で感傷的なワルツ]]、[[古風なメヌエット]]、[[夜のガスパール]]、[[鏡 (ラヴェル)|鏡]]、[[ハイドンの名によるメヌエット]]
* 1881年 [[バルトーク・ベーラ|バルトーク]] - [[ルーマニア民俗舞曲]]、[[ミクロコスモス (バルトーク)|ミクロコスモス]]、[[アレグロ・バルバロ]]
* 1881年 [[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]] - [[ペトルーシュカからの3楽章]]
* 1882年 [[カロル・シマノフスキ|シマノフスキ]] - マズルカ
* 1891年 [[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]] - [[トッカータ (プロコフィエフ)|トッカータ]]
* 1898年 [[ジョージ・ガーシュウィン|ガーシュウィン]] - [[3つの前奏曲 (ガーシュウィン)|3つの前奏曲]]
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* 1928年 [[カールハインツ・シュトックハウゼン|シュトックハウゼン]] - ピアノ曲I - XI
* 1930年 [[武満徹]] - 閉じた眼
 
=== 参考 ===
=== ピアノ以前の鍵盤楽器の楽曲 ===
ピアノが普及する[[18世紀]]後半以前に[[チェンバロ]]や[[クラヴィコード]]のために作曲された作品も現在「ピアノ曲」として知られている例がある。
 
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* 1694年 [[ルイ・クロード・ダカン|ダカン]] - かっこう
 
== ピアノの練習曲 ==
{{main|練習曲#ピアノ}}
 
== 片手のためのピアノ曲 ==
片手のためのピアノ曲とは、右手もしくは左手だけで演奏する曲である。片手の強化や、片手が使えない人のために書かれたもので、音域、演奏効果などの問題から左手用のものが圧倒的に多い。
 
片手のピアノ曲は、[[カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ]]などが練習曲として書き始めた<!-- と思われます。より知っている方の追加求む -->。[[19世紀]]に入ると、練習曲と共にピアニスティックな演奏会用作品が見られるようになる。[[20世紀]]に入ると、[[第一次世界大戦]]で右腕を失った[[パウル・ウィトゲンシュタイン|パウル・ヴィトゲンシュタイン]]の委嘱により多くの独奏曲及びピアノ協奏曲が作られた。近年では、脳溢血により右半身に麻痺が残った[[舘野泉]]が[[間宮芳生]]などに作品を委嘱し、初演している。
 
=== 代表的な片手用のピアノ曲===
*[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]:左手のための[[シャコンヌ]]([[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J.S.バッハ]]の[[無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ|無伴奏ヴァイオリン・パルティータ ニ短調BWV1004]]より) - 右手を痛めた[[クララ・シューマン]]のために編曲、献呈。
*[[アレクサンドル・スクリャービン|スクリャービン]]:左手のための前奏曲と夜想曲 作品9 - 作曲者が右手を痛めたときに作曲。
*[[パウル・ウィトゲンシュタイン|ヴィトゲンシュタイン]]:自身も練習曲及び編曲(バッハから[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]まで)を残している。
*[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]:[[左手のためのピアノ協奏曲 (ラヴェル)|左手のためのピアノ協奏曲]]
*[[レオポルド・ゴドフスキー|ゴドフスキー]]:左手のための多数の単独作品、及び「ショパンによる53の練習曲」の数曲。
 
他多数。
 
== 3手用以上の奇数手のピアノ曲 ==
4手[[連弾]]4手用、6手用、8手用などがポピュラーであろうが、[[マウリシオ・カーゲル|カーゲル]]の''Der Eid des Hippokrates」(1984)''(1984年)や[[シルヴィーノ・ブッソッティ|ブソッティ]]の ''Per Tre sul Piano](1959)・''(1959年)、[[モートン・フェルドマン|フェルドマン]]の ''Piano for Three Hands](1957)''(1957年)などは3手用、この他[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]の ''Frontispice pour piano]'' など5手用のピアノ曲がある。
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WDR:ケルン放送教会の提供-->
 
== ジャズ・ポピュラー音楽 ==
{{節stub}}
ジャズピアニストは[[ピアノ・トリオ (ジャズ)|ピアノトリオ]]などでの演奏が主だが、時にピアノ独奏による作品を発表する。
 
その他のポピュラー音楽では[[リチャード・クレイダーマン]]の「[[渚のアデリーヌ]]」、[[坂本龍一]]の「[[ウラBTTB]]」などが知られている。
 
== 関連項目 ==
*[[ピアノ小品]]
*[[性格的小品]]