「天然痘」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 百科事典的ではない内容をコメントアウト。出典要求。
タグ: コメントアウト
→‎東アジア・日本: 不要な表現を削除
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
48行目:
ヨーロッパや中国などと同様、日本でも何度も大流行を重ねて[[江戸時代]]には定着し、誰もがかかる病気となった。[[天皇]]さえも例外ではなく、[[東山天皇]]は天然痘によって崩御している他、[[孝明天皇]]の死因も天然痘との記録が残る<ref>これについては、孝明天皇の病状の記録が天然痘とするには不審な点があるとして、毒殺説が唱えられていたが、[[原口清]]が従来説を否定し、近年では孝明天皇の死因が天然痘である事が通説となっている</ref>。天然痘を擬神化した[[疱瘡神]]は[[悪神]]のひとつとしておそれられ、日本各地には疱瘡神除けの神事や行事が今も数多く残っている。疱瘡神は[[犬]]や[[猿]]、[[赤]]色を苦手とすると考えられたため、赤いものや犬の[[張子]]、猿の面などをお守りとして備える地域も存在した。[[福島県]][[会津]]地方の[[郷土玩具]]である[[赤べこ]]や岐阜県[[飛騨]]地方の[[さるぼぼ]]など、子供向けの郷土玩具に赤いものが多いのは天然痘除けを目的としていることが多い<ref>「人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を越えて」p16 加藤茂孝 丸善出版 平成25年3月30日発行</ref>。[[吉村昭]]の時代小説『[[破船]]』には、天然痘患者が赤い衣装を身にまとう描写がある。[[岐阜市]]にある[[延算寺]](岩井山かさ神)や[[神奈川県]]の[[上行寺 (鎌倉市)|上行寺]]、日本各地に存在する[[瘡守稲荷神社]]などのように、疱瘡除けに霊験があると考えられた神社仏閣は各地に点在しており、現代でも信仰を集めている。
 
[[北海道]]には江戸時代、[[本州]]から渡来した船乗りや商人たちによって、[[肺結核]]、[[梅毒]]などとともに伝播した。伝染病に対する抵抗力の無かった[[アイヌ民族]]は次々にこれらの病に感染したが、そのなかでも特に恐れられたのが天然痘だった。アイヌは、水玉模様の着物を着た疱瘡神「[[パヨカカムイ]](パコロカムイ)」が村々を廻ることにより天然痘が振りまかれると信じ、患者の発生が伝えられるや、村の入り口に臭いの強い[[ギョウジャニンニク]]やとげのある[[タラノキ]]の枝を魔除けとしてかかげて病魔の退散を願った。そして自身は顔に[[煤]]を塗って変装し、数里も離れた神聖とされる山に逃げ込んで感染の終息を待ちつづける。当然のことながら、このような行為に医学的な効果はなく、江戸期を通じて天然痘の流行が繰り返され、アイヌ人口が減少する一因となった。幕末の[[1857年]]にアイヌ民族を対象に大規模な種痘が行われ、流行にようやく歯止めがかかった(後述)。
 
== 制圧の記録 ==