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|caption2 = ラスプーチンの遺体
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12月17日午前8時、警察はラスプーチンのアパートを訪れて娘マリアに父親の行方について尋ね、同日中にラスプーチンの「失踪」はヴィルボヴァによってアレクサンドラに報告された<ref>{{cite web|url=http://www.alexanderpalace.org/russiancourt/XIII.html|title=Memories of the Russian Court – an online book on Romanov Russia – Chapter XIII|author=|date=|publisher=|accessdate=27 December 2014}}</ref>。また、プロトポポフもモイカ宮殿から戻った警官の報告を受け、ラスプーチンが何らかの事件に巻き込まれたことを確信した。アレクサンドラは直ちに捜査を命じ、警察はモイカ宮殿近くで血痕を発見しユスポフを問い詰めるが、ユスポフは「事故で飼い犬がドミトリーに撃たれたので、それは犬の血だ」と返答した。ユスポフたちはアレクサンドラに謁見を求めたが拒否され、「書面で事情を説明する」と訴え、プリシケヴィチもそれを支援したが、彼は午後10時に<!--ペトログラード-->サンクトペテルブルクから逃亡した。12月18日、モイカ宮殿の血液が人間のものだと判明し、ユスポフとドミトリー大公は自宅軟禁下に置かれた。同日午後には、ペトロフスキー橋の欄干から血痕が、橋の下からは雨靴が発見され、夜に娘マリアと姉妹たちによって雨靴がラスプーチンの物だと確認された。
 
[[File:EMPROS 19170112 p1 2 Raspoutin.JPG|thumb|200px|left|ラスプーチン暗殺を報じる[[ギリシャ]]の新聞]]