「スピーク・ホワイト」の版間の差分

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「スピーク・ホワイト」はカナダのフランス語話者に対して投げかけられていた差別的な罵言である。公共の場で[[英語]]以外の言語を話すマイノリティは、英語系住民のこの恫喝にさらされた。雇用主が使用人を奴隷のように扱う当時のカナダの植民地的状況の中では、「スピーク・ホワイト」という罵倒によって、奴隷的使用人は自分の言語を話すことを禁じられ、主人の言語を話すことを強いられた<ref group=注 name=":0">ロベール・ルパージュ『887』、モントリオール:ランスタン・メームとエクス・マキナ、2016、107頁:「スピーク・ホワイト」はかつて北アメリカの大農園で奴隷労働者たちに対して用いられた表現だ。白人の主人と同じ言語でずっと話すことを命令されたのだ。この表現はその後、カナダのフランス語話者に対して用いられるようになった。フランス語話者は、主人にこう命令されることによって、英語で話すことを強いられ、自分たちが劣等的であり、社会的に下位にいることを認識させられたのだ。</ref>。ケベックではこの侮蔑的表現は、「[[静かな革命]]」が進展し、オレンジ同盟の植民地的支配が弱まる1960年代まで用いられていた。
 
1889年10月12日、下院での議論で、アンリ・ブラッサがフランス語で発言しようとしたところ、英語系議員に「スピーク・ホワイト」とやじられた <ref>{{Ouvrage|titre=Le Mémorial du Quebec : tome 4, 1939-1952|éditeur=Société des éditions du Mémorial|auteurs=Eliane Catela de Bordes, Gilles Blanchard, Francois Robichaud|langue=français|année=1979|lieu=Montréal|isbn=2891430026|oclc=62992496}} à la page 89.</ref>。『ケベック語-フランス語辞典』(''Dictionnaire québécois-français'') は、1963年の『マクリーンズ (''Maclean's'')』誌の記事を引用している。「私たちが出会った20人のフランス系カナダ人のうち、15人が『スピーク・ホワイト』という侮蔑的表現で英語を話すように命じられたことがある」。1999年12月9日の夜、 ケベック州とオンタリオ州の境となる橋の上に次のような英語の文句が書かれた横断幕が張られた。「ここからは、スピーク・ホワイトだ!''« From this point speak white! »'' 」<ref>[http://www.radio-canada.ca/regions/ottawa/nouvelles/2002/archives/index.asp?val=367 Speak white !] - Nouvelle de Radio-Canada, consulté le 14 mars 2008.</ref>。2007年3月に、CBCのラリー・ゾルフ (Larry Zolf)は、担当するコラムに「スピーク・ホワイト」というタイトルの記事を書いた。その記事には次のような記述がある。「私がステファン・ディオンのひどい英語を聞いたときには、あいつに『スピーク・ホワイト』と言ってやりたいと思ったよ」<ref>https://web.archive.org/web/20070314040721/http://www.cbc.ca/news/viewpoint/vp_zolf/20070302.html</ref>。
 
=== 詩 ===