「仏滅紀元」の版間の差分

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== 使用 ==
使用の始まりは、タイ王国で[[ラーマ6世]]によって[[1912年]]に[[ラッタナコーシン暦]]が廃止され、代わりに仏滅紀元が導入された事である。導入の背景には[[西暦]]を導入するよりは、仏滅紀元を導入した方が仏教の研究上都合がよかったからだと言われている。タイに導入された当初は[[太陰暦]]であったが、仏滅紀元2483年([[1940年]])にその年が9月でうち切られ、[[グレゴリオ暦]]([[太陽暦]])との誤差が修正されたため、現在は西暦との間で日にちのズレがない<ref>赤木 [1994] p.256 {{Full|date=2017年1月}}</ref>。
 
上記にもかかわらず、2014年現在のタイでは西暦とのずれが修正される前の仏滅紀元が一般的に使用されている(一例:各種行政文書)
 
この紀年法は、当時タイの領土であったラオス、カンボジアにも伝播した。しかし、スリランカやミャンマーで使用される仏滅紀元とは、上述の通り1年の差異がある。仏滅紀元は[[タイ語]]ではプッタ・サッカラート {{lang|th|พุทธศักราช}} といい、年代を表記するときは頭文字を取ってポー・ソー {{lang|th|พ.ศ.}} と書き、[[2017年]]の場合は「{{lang|th|พ.ศ.}} 2560」と表記する。修正表は以下の通り。