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== 歴史 ==
[[ファイル:Persianmss14thCambassadorfromIndiabroughtchesstoPersianCourt.jpg|right|thumb|300px|14世紀ペルシアの宮廷でおこなわれていたシャトランジのようす]]
現在、西洋を中心に遊ばれているチェスは、古代[[インド]]で'''[[チャトランガ]]'''という名前で遊ばれていたゲームに起原を持つ。それが最初は四人制だったのか、二人制だったのか、もしくは[[サイコロ]]で遊ぶ競走ゲームだったのかは分かっていない。いずれにせよ7世紀までに[[サーサーン朝]][[ペルシャ]]に伝播し、そして更に[[ニハーヴァンドの戦い]]でサーサーン朝を駆逐し滅亡に追い込んだイスラム教徒の帝国に伝達されたのは確かである。そこで「チャトランガ」という名は[[アラビア語]]になまって<ref>例えばアラビア語には [[چ|ch]] の音がない。</ref>「シャトランジ」となり、アラブ地域で広く楽しまれるようになった。その後シャトランジは[[アンダルス]]や[[コンスタンティノープル]]、[[シチリア]]を経由して、あるいは[[カスピ海]]沿岸から[[ロシア]]を巡って、[[イスラム世界]]からヨーロッパへと伝わりチェスとなった。
 
イスラム世界におけるシャトランジの実態としては、例えば『[[千一夜物語]]』の「オマール・アル・ネマーン王とそのいみじき二人の王子」にシャールカーン王子が競技中にアブリザ女王の顔を見過ぎてしまったために「象の場所に馬を置き、馬の場所に象を置くのでした。」という表現がある。同じく「ザイン・アル・マワシフの恋」には「黒檀と象牙造りで、四隅が金の将棋盤」「駒は紅と白、紅い駒はルビー細工で、白い駒は水晶細工でした。」とあり、一番あたり100[[ディナール]]、1000ディナール、さらに店や家々や庭や奴隷を賭けて指されていたことがうかがえる。また[[ファーティマ朝]][[カリフ]]の[[ハーキム]]は[[ヒジュラ暦]]402年にシャトランジを禁止し盤を焼く命令を出した。このようにイスラム世界には王族や高貴な階層だけの遊びではなく、民衆にもシャトランジが普及した様子がうかがえる。そしてどうやら[[賭博]]の要素も含まれていたようである。