「フランス外人部隊」の版間の差分

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[[フランス]]に限らず、[[ヨーロッパ]]においては戦争の際に[[スイス]]人など外国人の[[傭兵]]が活躍することが多かったが、[[近代]]になるとほとんどの国で軍隊は[[徴兵制度]]による国民軍の形態を採るようになった。これは[[フランス革命戦争]]および[[ナポレオン戦争]]でフランスの国民軍が、他国の寄せ集め職業軍人集団である傭兵隊に対し圧倒的な強さを見せたためである。
 
しかし「国民軍」を生み出したフランスにおいて外国人による純然たる職業的戦士集団から構成される外人部隊の設立に至った経緯は、皮肉にも[[ナポレオン戦争]]によって創設・普及した[[国民軍]]の一員として戦った多数の青壮年男性が命を落とし、その後も[[産業革命]]による生活水準の向上と男性の[[生産年齢人口]]の激減、男女比の歪みが響いて人口が伸び悩んだことで兵力の確保に問題を抱えるようになっていたことに起因する。さらに[[1830年]]から始まった[[アルジェリア侵略|アルジェリア征服戦争]]では、征服予定地のアルジェリアへ派遣されたフランス国民軍の間に非常に多くの死傷者を出していたため、国民の非難を受けることを怖れた政府は、それまでの傭兵とは異なった、自国軍の士官によって外国人兵士を指揮する、正規軍と同じ地位を与えられた部隊<ref group="注釈">{{要出典範囲|当時の外国人傭兵部隊は、取りまとめ役である傭兵隊長と契約することが多かった。|date=2015年6月}}</ref>の設立に踏み切った。こうして、かつて[[ワーテルローの戦い]]で総参謀長を務めたこともある[[ニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト|スールト]]軍事大臣の取纏めで、[[1831年]]3月10日、[[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フィリップ国王]]の署名によって誕生した。
 
こうして設立された外人部隊は、当初フランスの[[北アフリカ]]における植民地支配・権益確保を主任務にしていたが、後には他地域・他任務へも利用されることになる。長らく本部はフランス最初期の植民地であった[[アルジェリア]]の[[シディ・ベル・アッベス県|シディ・ベル・アベス]]にあったが、1962年アルジェリアが独立してからは[[コルシカ島|コルシカ]]に移転<ref>『[[#世界の特殊部隊 ヴィジュアル版|世界の特殊部隊 ヴィジュアル版]]』p. 81.</ref>している。