「マウソロス」の版間の差分

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マウソロスは先代の王[[ヘカトムノス]]の長男で、弟として[[ヒドリエウス]]と[[ピクソダロス]]、姉妹として[[アルテミシア2世 (カリア)|アルテミシア]]と[[アダ]]がいる。マウソロスはアルテミシアと、ヒドリエウスはアダと結婚した<ref>ストラボン, XIV. 2. 17</ref>。[[ディオドロス]]の記述から計算するならばマウソロスが王位を継承したのは[[紀元前377年]]であるが、彼の名が初めて歴史の主で舞台に出たのは[[紀元前362年]]であり、その時マウソロスは[[小アジア]]で多くの太守が[[ペルシア]]に反旗を翻す所謂「サトラップの大反乱」の中心的人物の一人であった<ref>ディオドロス, XV. 90</ref>。
 
その後、マウソロスは[[イオニア]]に積極的な進出を行い、[[ミレトス]]に同市を裏切ろうとした市民を助けるために[[アイギュプトス]]なる人物を派遣したり<ref>ポリュアイノス, VI. 8</ref>、[[ラトモス]](ミレトス近くの都市)を占領するなどした<ref>ibidポリュアイノス, VII. 23</ref>。ラトモス占領の際にマウソロスはある計略を用いた。彼はラトモス人を護衛兵として雇って彼らに目をかけるなどしてラトモスに対して友好的な振る舞いをして油断させた後、[[エフェソス]]の[[ヘロピュトス]]が不穏な動きを見せているとして[[ピュゲラ]](エフェソスの南の都市)に軍を進めるためにラトモスから300人の兵士を受け取った。マウソロスが彼らを含む軍を率いてラトモスの近くを進軍した際、ラトモスの全市民が行進を見物するために市から出てきた。そして、昨夜から近くに隠れていたマウソロスの別働隊がもぬけの殻の町に突入して難なく占領した。さらに、マウソロスは[[アテナイ]]に服属していた[[キオス島|キオス]]、[[ビュザンティオン]]、[[ロドス]]を焚き付けて[[紀元前357年]]に反乱([[同盟市戦争 (紀元前357年-紀元前355年)|同盟市戦争]])を起こさせ、キオスと同盟を結んで反乱軍を援助した。その結果それらの諸都市はアテナイから独立し、マウソロスはロドスを[[従属国|属国]]化した<ref>デモステネス, 「ロドス人解放のために」, 3</ref><ref>ディオドロス, XVI. 7</ref>。
 
[[紀元前353年]]に死因は不明であるが、マウソロスは死んだ<ref>ibidディオドロス, XVI. 37</ref>。夫の死後アルテミシアが統治権を、さらにその後はヒドリエウスが継承しており、マウソロスの子供が言及されていないことから考えると、彼には子供はいなかったようである<ref>ストラボン, XIV. 2. 17</ref>。アルテミシアは亡き夫のために壮麗な葬式を挙げ、その際故人の遺徳を讃える追悼[[演説]]の大会を開催し、[[テオポンポス]]、[[テオデクテス]]、[[ナウクラテス]]、そして[[イソクラテス]]の弟子である[[アポロニアのイソクラテス|イソクラテス]]などが参加した<ref>アウルス・ゲリウス, 10. 18</ref>。その後彼女は[[スコパス]]、[[ティモテオス]]、[[レオカレス]]、[[ブリュアクシス]]といった[[ギリシア]]の名だたる[[彫刻家]]を雇い入れて[[世界七不思議]]の一つに数えられる[[マウソロス霊廟]]を立てた<ref>ストラボン, XIV. 2. 16</ref><ref>プリニウス, XXXVI. 4</ref>。
 
== 註 ==