「正保国絵図」の版間の差分

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数年がかりで国ごとに報告書が提出され、幕府文庫である[[紅葉山文庫]]に収蔵された。作成単位は原則として[[令制国|国]]で、[[蝦夷地]]や[[琉球]]についても作成されている。[[寛文]]9年([[1669年]])には、[[北条氏長]]を責任者として校訂事業が行われている。
 
幕府の国絵図事業は4回行われているが、1回目の[[慶長国絵図]]は[[慶長]]9年([[1604年]])から、主に[[西日本]]について作成された(その後、[[元和 (日本)|元和]]3年([[1617年]]) - [[寛永]]15年([[1638年]])にかけ、数度の補遺を行っている)。正保国絵図は、2回目にあたり、全国68ヶ国についてすべて収集され、主に軍事と交通関連の情報が記載されているほか、縮尺も1/21600(1里6寸)に統一される<ref>{{Cite web |format=PDF |author=磯長和貴|url=http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/OS/0022/OS00220R061.pdf |title=正保国絵図の調査と「村差出帳」山城国・相模国を中心に 『鷹陵史学』22号所収 |publisher=佛教大学論文目録リポジトリ |page=1|date=1996-09-25 |accessdate=2017-11-16}}</ref>など、実用性が意識されていた。
 
その後、[[元禄]]10年([[1697年]])から開始された[[元禄国絵図]]<ref>[http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/category/categoryArchives/0200000000/0201000000 元禄国絵図]デジタルアーカイブ 国立公文書館</ref>では仕様の統一が図られ、[[天保]]6年([[1835年]])に開始され、唯一現存する[[天保国絵図]]<ref>[http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/category/categoryArchives/0200000000/0202000000 天保国絵図]デジタルアーカイブ 国立公文書館</ref>では、幕府が主体となって編纂に当たっている。