「ルーテル教会」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
「福音主義」→「福音」/独: Lutherische Kirchen / Lutheraner
1行目:
{{参照方法|date=2011年2月}}
{{キリスト教}}
'''ルーテル教会'''(ルーテルきょうかい、{{Lang-de-short|Lutherische Kirchen / Lutheraner}}, {{Lang-en-short|Lutheran Church / Lutheranism}})は、[[マルティン・ルター]]により[[ドイツ]]に始まる、[[キリスト教]]の[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]または教団。'''ルター派'''(ルターは)とも呼ばれる。'''[[プロテスタント]]'''の一つであり、全世界に推定8260万人の信徒が存在する。発祥の地ドイツを始め、[[北ヨーロッパ|北欧]]諸国では国民の大半がルター派であり、そこから移民が渡った先の[[アメリカ合衆国]]、[[カナダ]]、[[ブラジル]]等の南アメリカ各国でも信徒数が多い。
 
[[ヨハン・パッヘルベル|パッヘルベル]]、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J.S.バッハ]]、[[ゲオルク・フィリップ・テレマン|テレマン]]、[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]など著名な音楽家が多く所属し、作曲家や音楽家に縁がある教会としても知られる。
18行目:
アメリカへはヨーロッパからの移民と共に、ルター派の勢力が拡大、18世紀の中頃になり本格的な教派の生成が行われた。19世紀以降、ドイツや北欧のルター派が大量に移住し、[[アメリカ合衆国中西部|アメリカ中西部]]を中心にして定住した。
 
[[1817年]]の[[プロイセン王国|プロイセン]]においてルター派と改革派による[[合同教会]]が設立された。教会合同によって設立された[[古プロイセン合同福音主義教会|プロイセン福音主義教会]]には、[[フリードリヒ・ヴィルヘルム3世]]によって作成された[[古プロイセン合同福音主義教会#フリードリヒ・ヴィルヘルム3世による礼拝式文|礼拝式文]]
が下賜された。その式文は[[ニュルンベルク]]のルター派教会礼拝式に倣ったものであり、ローマ・カトリック教会の[[ミサ]]に準拠したものであった<ref> クピッシュ『ドイツ教会闘争への道』([[雨宮栄一 (神学者)|雨宮栄一]] 訳、[[新教出版社]]、1967年)</ref>。この復古的式文の影響はプロイセン以外のドイツのルター派領邦教会にまで及び、簡素な礼拝に向かっていたドイツのルター派教会の礼拝は宗教改革以前の様式に戻ってしまった。プロイセン福音主義教会はその後、[[古プロイセン合同福音主義教会]]と名称を変えていく。この合同教会内ルター派から[[告白教会]]の指導者[[マルティン・ニーメラー]]と神学者[[ディートリヒ・ボンヘッファー]]が輩出される。
 
この合同に加わらなかったドイツ人ルター派の一部がアメリカに移民し、[[セントルイス]]周辺で発展して、ルター派教会ミズーリシノッドを形成した。このルター派教会ミズーリシノッドはその後も独自の保守的路線を一貫して守り、20世紀におこなわれたアメリカ国内のルター派教会合同の流れにも加わらなかった。アメリカには880万人のルター派教会の会員がいる。19世紀以降、ドイツ、北欧やアメリカからアジアやアフリカへ伝道がなされ、[[タンザニア]]、[[インドネシア]]には大きなルター派教会が存在している。19世紀以降、ドイツからの移民が南米諸国にも向かい、ルター派教会が各地で設立された。
26行目:
[[1947年]]、[[スウェーデン]]の[[ルンド]]で[[ルター派世界連盟]]が組織されて、多くのルター派教会(ルーテル教会)が加盟した。この連盟は、世界のルター派の友好、協力、[[エキュメニカル運動]]への参加を目的として活動している(世界的共同体であり、79ヶ国、145の加盟教会、約7千万人のキリスト者を擁している)。ただし、ルター派世界連盟は狭い意味での教派ではなく、[[改革派教会]]の組織に並行加盟しているルター派系[[合同教会]]の加盟も認めている。ルターによる[[宗教改革]]の遺産を継承する全ての教会に門戸を広げているのがルター派世界連盟である。[[2009年]]には、宗教改革の口火を切った都市[[ヴィッテンベルク]]にも出先機関が置かれた。しかし、独立福音ルター派教会(ドイツの自由教会)や米国のルター派教会ミズーリシノッド、ルター派教会ウィスコンシン・シノッドのような保守的な古ルター派教会は、この連盟のリベラルな神学や[[エキュメニカル運動]]への積極的関与を批判して、加盟していない。
 
[[ルター派世界連盟]]と[[カトリック教会]]は[[1999年]][[10月31日]]に「[[義認の教理に関する共同宣言]]([[:en:Joint Declaration on the Doctrine of Justification|Joint Declaration on the Doctrine of Justification]])」に調印し、カトリック教会も信仰によって福音を理解することを公式に宣言した。この宣言では、[[トリエント公会議]]による信仰義認主張者への断罪はルター派教会(ルーテル教会)に適用されず、またルターによる信仰義認否定者への断罪はカトリック教会に適用されないと定めた。この共同宣言の支持者たちは、このことをもってカトリック教会が信仰義認の教理をルター派に適用したとみなしているが、ルター派教会ミズーリシノッド、ルター派教会ウィスコンシン・シノッドのような保守的な古ルター派はそのような解釈を拒んでいる。また、調印される前年の1988年、[[テュービンゲン大学]][[福音主義#ドイツにおける福音主義|福音]]([[プロテスタント]])[[神学部]]教授の[[エーバーハルト・ユンゲル]]を代表にして160人の[[福音主義#福音主義evangelisch|福音主義]]プロテスタント神学者たちがこの共同宣言に反対を表明した<ref>[http://www.kirchen.ch/pressespiegel/nzz/0094.htm Rezension der NZZ zu Jüngels Buch: ''Das Evangelium von der Rechtfertigung des Gottlosen als Zentrum des christlichen Glaubens. Eine theologische Studie in ökumenischer Absicht.'']</ref>。宗教改革の源流であり、神学研究の中心地ドイツのルター派から強い批判を受けながらもこの共同宣言は強引に進められた。
 
北欧を中心にヨーロッパの一部のルーテル教会は[[使徒継承]]性を主張しており、同じく使徒継承を主張するヨーロッパの[[アングリカン・コミュニオン]]([[聖公会]])所属教会らと、[[1994年]][[フィンランド]]の[[ポルヴォー]]で合意文書に調印した。この合意文書に調印した教会を[[ポルヴォー・コミュニオン]]といい、これらの教会は相互に[[フルコミュニオン]]の関係にある。
50行目:
が採用されている。ただし、シュマルカルド信条、和協信条については信仰告白に含めていない教会も多い。
 
ドイツ、オーストリアの福音主義(ルター派)教会は[[第2次世界大戦]]後、[[告白教会]]を再建の礎として再出発した歴史を持つため、[[バルメン宣言]]が信仰告白に採用され始めている。マルティン・ルターの生涯ゆかりの教会の多くが属している[[中部ドイツ福音主義教会]]においても、バルメン宣言は信仰告白の一部に含められている。ドイツ語圏のルター派教会の場合、バルメン宣言を信仰告白として規定していない州教会においても信仰告白と同様な扱いを受けている。讃美歌集等でも信仰告白文書と同様に扱われている。
 
洗礼前教育においては、ルター以来、[[十戒]]、[[使徒信条]]、[[主の祈り]]を重視し、それぞれが教義、神の正しい崇拝、信徒としての生活を教えるものと考える。
96行目:
 
== ドイツのルター派教会 ==
ドイツにある全てのルター派教会を組織の上で包括しているのは、[[ドイツ福音主義教会]](EKD)である。EKDはルター派、改革派、合同派の信仰告白を持つ20の州教会の共同体である。したがって、そこには改革派教会も含まれる。しかしながら、ドイツにある全てのルター派教会を包括しているのはEKDだけである。
 
EKD内には、ルター派州教会の属する[[ドイツ合同福音ルター派教会]]と合同派州教会の属する[[福音主義合同教会]]がある。さらに、どちらの組織にも加盟していないルター派州教会が2つある。ドイツ合同福音ルター派教会は多くのルター派州教会を組織しているが、全てのルター派州教会を包括しているわけではない。
 
また、ルター派と改革派が並存している福音主義合同教会に加盟している州教会にも多くのルター派教会が含まれているが、これらのルター派教会はドイツ合同福音ルター派教会には加盟していない。福音主義合同教会に加盟している州教会においてルター派が9割以上を占めることも多く、ルター派の影響力は合同派州教会においても圧倒的である。この福音主義合同教会内のルター派を無視して、ドイツのルター派教会の全体像を語ることはできない。福音主義合同教会に属しているルター派教会は、常にルター派としてのアイデンティティを意識することが求められており、神学的立場、礼拝様式においても、ドイツ合同福音ルター派教会に属している州教会よりもルター派らしさを保持していることも多い。改革派の州教会に分類されているリッペ州教会においても、ルター派教会が少数派として存在している。ドイツ合同福音ルター派教会に組織上入ることのできない合同教会内のルター派教会にとって、全てのルター派教会が属するEKDの存在は大きい。EKDにおいて、ルター派(ルター派州教会と合同派内ルター派)が圧倒的多数を占めており、EKD常議員会議長には常にルター派か合同教会の人間が選ばれている。
 
2009年1月1日、キルヘンプロヴィンツ=ザクセン福音主義教会とテューリンゲン福音ルター派教会の合同によって、[[中部ドイツ福音主義教会]]が設立された。テューリンゲン福音ルター派教会はドイツ合同福音ルター派教会に加盟していたルター派州教会であり、キルヘンプロヴィンツ=ザクセン福音主義教会は福音主義合同教会に加盟していた合同派州教会であった。この二つの性格の異なる州教会が一つに統合されたが、加盟組織との関係はそのまま維持されている。したがって、この中部ドイツ福音主義教会はルター派州教会であると同時に、合同派州教会の一員として存在していくのである(3304のルター派教会共同体と5の改革派教会共同体)。ルター派と改革派の並存は、従来、EKD、もしくは合同派州教会での組織状況であったが、ルター派州教会においても改革派との並存という状況を迎えたのである。ルター派州教会の中部ドイツ福音主義教会はEKDに類似した組織形態を持つに至った。2012年、合同派州教会の[[ポンメルン福音主義教会]]と、ルター派州教会の[[メクレンブルク福音ルター派州教会]]、[[ノルトエルビエン福音ルター派教会]]の統合によって、[[北ドイツ福音ルター派教会]]が設立された。この新しいルター派州教会の教憲には[[バルメン宣言]]が[[信仰告白]]として含まれている。
 
== ドイツ・ルター派教会礼拝式文==
[[礼拝]]の概念はギリシャ語の"{{lang|el|λατρεία}}"(ラトリア)に由来し、神による奉仕が語源になる。[[福音主義#ドイツにおける福音主義evangelisch|福音主義教会]]の礼拝は[[カトリック教会|ローマ・カトリック教会]]の[[ミサ]]とは異なる強調点を持つ。ドイツの福音主義教会のこの礼拝式文はラテン語ミサに由来する様式である。この礼拝式文は[[古プロイセン合同福音主義教会#フリードリヒ・ヴィルヘルム3世による礼拝式文|古プロイセン合同福音主義教会]]の影響を受けた[[ベルリン=ブランデンブルク=シュレージシェ・オーバーラウジッツ福音主義教会]]内の[[ベルリン=ブランデンブルク=シュレージシェ・オーバーラウジッツ福音主義教会#ルター派教会礼拝式文(ベルリン=ブランデンブルク=シュレージシェ・オーバーラウジッツ福音主義教会)|ルター派礼拝式文]]である。
 
===聖餐式のない礼拝式文(ルター派)===
187行目:
=== ルター派教会礼拝、葬儀礼拝 ===
 
*[https://www.youtube.com/watch?v=VzFGGMgejlk ベルリン十二使徒教会(ベルリン=ブランデンブルク=シュレージシェ・オーバーラウジッツ福音主義教会)聖餐式] - YouTubeより。
*[http://www.youtube.com/watch?v=moWmjapsh_o&feature=related ベルリン大聖堂でのグロリアパトリ] - YouTubeより。
*[http://www.youtube.com/watch?v=k6e1OzIngjA ベルリン大聖堂での聖餐式(序詞、その日の序詞、サンクツウス、聖餐設定句、主の祈り、アグヌスデイ)] - YouTubeより。
*[https://www.youtube.com/watch?v=kCrrZ-SMyM0 ヴェルニングスハウゼン修道院教会(中部ドイツ福音主義教会)聖餐式]-ルター派修道士たちによる司式。