「増田寛也」の版間の差分

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寄附の収支報告書未記載が冒頭にあるのは不格好なので、「経歴」節に移動。これでもまだバランスを欠くか。
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国政選挙への出馬打診は断っていたが、[[1994年]]、[[岩手県知事]]選挙への立候補を決意。建設省上層部や妻の反対を受けたが、夫婦に子供がなかったことから落選しても何とかなると妻を説得し、退官した<ref name="NGH" />。[[小沢一郎]]らの支援を受け、[[1995年]]に当選。岩手県知事在任中は、2期目から小沢と決別し、[[宮城県知事]][[浅野史郎]]や[[三重県知事]][[北川正恭]]、[[高知県知事]][[橋本大二郎]]などと親しみ、「改革派知事」の代表格として知られた。県知事時代の最高支持率は78%に達し、同時期の都道府県知事の中では[[東京都知事]][[石原慎太郎]]の66%などを抑えて最も支持率が高かった<ref>2004年 都道府県知事 支持・不支持率調査([[朝日新聞社]])</ref>。
 
[[第1次安倍内閣 (改造)|第1次安倍改造内閣]]、[[福田康夫内閣]]、[[福田康夫内閣 (改造)|福田康夫改造内閣]]では[[総務大臣]]及び[[内閣府特命担当大臣(地方分権改革担当)|内閣府特命担当大臣(地方分権改革)]]に任命され、知事出身の[[民間人閣僚|民間閣僚]]として[[地方]]再生に取り組んだ。総務大臣在任中の[[2007年の日本プロ野球|2007年]]には、県知事時代の資金管理団体が、受け取った寄付を収支報告書に記載していなかったとして訂正を行った
 
[[2016年]]7月、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]・[[公明党]]・[[日本のこころ (政党)|日本のこころを大切にする党]]から推薦を受けて[[2016年東京都知事選挙|東京都知事選挙]]に立候補したが、自由民主党前[[衆議院議員]]の[[小池百合子]]に敗れて落選。