「マルコポーロ事件」の版間の差分
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'''マルコポーロ事件'''(マルコポーロじけん)とは、[[1995年]]2月に日本の[[文藝春秋]]が発行していた[[雑誌]]『[[マルコポーロ (雑誌)|マルコポーロ]]』が、内科医[[西岡昌紀]]が寄稿した[[ホロコースト]]を否定する内容の記事を掲載したことに対して、アメリカの[[ユダヤ人]]団体[[サイモン・ウィーゼンタール・センター]]などからの抗議を受けて同誌を自主[[廃刊]]したこと、及び当時の社長や編集長が辞任解任された事態を指す。この事件は、[[日本]]における「[[歴史修正主義]]」あるいは「[[ホロコースト否認|ホロコースト否認論]]」を巡る状況のなかで、最も広範囲に話題となったもののひとつである。また、日本の出版界の商業主義、過度な広告依存、スポンサーへの過剰萎縮などの議論のきっかけとなった。
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*『[[週刊金曜日]]』は、『マルコポーロ』廃刊の数か月前まで[[本多勝一]]がホロコースト見直し論に強い関心を抱き、[[木村愛二]]に連載を依頼したり、本多自らが、西岡が野坂昭如と共に主宰していたホロコースト見直し論の研究会(情報操作研究会)に出席して好意的な姿勢を示していたにもかかわらず、『マルコポーロ』が廃刊になると、記事と文春を攻撃した。これが、後に[[木村愛二]]の同誌に対する提訴の一因となるが、木村は『マルコポーロ』編集部が西岡の原稿の掲載を先送りにしていた際、本多がその西岡の原稿自体を『週刊金曜日』に掲載出来ないか?と打診して来たと述べている。
*月刊『創』は、編集長篠田博之による記事「文藝春秋・田中健五前社長の憂鬱」のほか、江川紹子による長文の記事(「『マルコポーロ』廃刊事件で何が問われたか」)、福田みずほによる西岡の記事と文春への批判(『ホロコースト』の嘘-ドイツでの反応」)、そして、西岡自身の談話を元に構成した記事(「『ガス室はなかった』記事執筆の真意/「もともとの関心はメディアの情報操作にあった」」)を並べて掲載し、この問題を大きく特集した。
=== インターネット ===
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