「第三次マイソール戦争」の版間の差分

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かくして、マイソール王国の首都、カーヴェーリ川の中にあるシュリーランガパトナまで至ったイギリス軍であるが、ここで問題が生じた<ref name="Gardner174">ガードナー『イギリス東インド会社』、p.174</ref>。シュリーランガパトナがまず非常に難攻不落であったこと<ref name="Gardner174"/>、マラーター軍が近くにいなかったこと、マラバールからやってきて合流したアバークロンビー率いるイギリス軍が非常に飢えていたこともあり、包囲ができるのかが疑問となった<ref name="Fortescue576">Fortescue, p.576</ref>。また、包囲にあたり、コーンウォリスと前線にいたメドウズは連絡と補給が分断されるのではないかと心配になり始めた<ref name="Gardner174"/>。
 
結局、[[攻城砲]]兵にまで損害が出始めたので<ref name="Gardner174"/>、シュリーランガパトナの包囲ができるのかコーンウォリスは悩んだ末、同月25日に包囲を断念した<ref name="Fortescue576"/>。包囲は用意周到な準備が出来てからにすることにして、バンガロールへと引き返した。その3日後、同月28日にハリ・パントに率いられたマラーター軍がイギリス軍と合流した。
 
===シュリーランガパトナ撤退後の動向===
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同月[[2月12日|12日]]、アバークロンビーがボンベイ軍とともに到着し<ref name="Wickwire170"/>、シュリーランガパトナの包囲がきつくなると、ティプー・スルターンはさすがに講和を申し出た<ref name="Gardner174"/>。
 
同月[[2月23日|23日]]、ティプー・スルターンとコーンウォリスは和平交渉を行い、翌[[2月24日|24日]]に和平がマイソール王国とイギリスとの間で和平が結ばれることとなった<ref name="Wickwire170"/>。
 
==戦争の終結とシュリーランガパトナ条約の締結==