「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」の版間の差分

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「グループ・サウンズ=不良」のイメージが強かった[[1960年代]]当時、数多のグループ・サウンズの中で[[ザ・ワイルドワンズ]]と共に[[日本放送協会|NHK]]への出演が許され、[[NHK紅白歌合戦]]に[[第17回NHK紅白歌合戦|第17回]](1966年)から3回連続(前年のザ・ピーナッツのバックを含めれば4回連続)で出場した。これは何よりもまず他のグループ・サウンズとは比較にならないほど音楽的水準が高かった事である。全てのメンバーは読譜に優れ、作編曲ができ、卓越した楽器演奏、ヴォーカルやコーラスに至っては声色を巧みに使い分け、ロックから歌謡曲、演歌、クリーンサウンドからガレージパンクまでどのジャンルをやらせても高い完成度で演奏できるバンドだった。(バックバンドとしての下積み時代を経験しているので至極当然であった。)
 
外見は短髪で[[背広|スーツ]]姿=[[銀行員]]風と言うのが[[世間]]一般に評価されたことによるものである。もっとも、メンバーにしてみれば、長髪が似合わなかったから短髪にしていただけで、NHKへの出演を意図していたものではなかった。逆にコンサートなどで[[かつら (装身具)|かつら]]を被って長髪を試したところ[[ファン]]に不評だった(ただし、70年代に入ると三原やジャッキーが髪を伸ばすようになっている)。しかし、ビジュアルイメージを考えていなかったわけではなく、[[ショーン・コネリー]]が演じる[[ジェームズ・ボンド]]をコンセプトに、全員が移動時におそろいのアタッシュケースを持っていた(デビュー曲が「サンダーボール」のカバーだったことからもその姿勢が伺える)。